月曜の晩、つい、という感じでだらだら流れて渋谷で見ました。 (あそこのビル、だいっきらい)
去年の5月、向こうで公開直後に見てから2回目、しかし本国公開時からもう1年も経っているのか...
この映画は何回でも見る。 おもしろいから、というのもあるけど、こんなおもしろいのに1年経たないと公開されないようなこの国で、今後Judd Apatowものが見れなくなってしまうのは、絶対にいやだから、チケットを買ってみる。
"The Five-Year Engagement"も"This Is 40"も見れなくなるのは困る、耐えられない、いやだ。 (それと同じように、なんでPaul Ruddのって日本にぜんぜんこないのか)
昨年、BAMで行われたJohn Landis特集のトークで、John Landis先生は、この作品を2011年のコメディのなかで断トツでおもしろいとした上で、みんなが幸せになってしまうラストについて、最近のコメディ映画はみんなそうなってしまった、と嘆いていた。 破天荒に、アナーキーにぶっちぎって見るひとを呆然とさせるようなコメディは、今のマーケットのなかではリスクが高くてできないのだ、と。
先生の説に大筋では納得するものの、でもこの作品に関していうとなんか違う気もする。
あそこまでぼろぼろで救いようのない事態に主人公たちをゴミのように放りだしておきながら、Wilson Phillipsを導入して強引にハッピーエンドのほうに落っことしてしまう、これって十分アナーキーなことではないだろうか。
結婚式とか葬式って、かなり強引なちゃらにしちまえイベントであることは承知の上で、それでも、見ているこっちは騙されて崖から突き落とされたような気分になって、なのにみんなはおめでとうーって笑っているので、大変へんな気分になる。
SATCは、ブランドも靴も男もみんな大好きだし必要だけど、でも女友達がいちばん最高なんだ、ていうお話しだった(おおざっぱ)。
こっちは、おれだってこんなにも屑でだめで最低の糞野郎なんだから心配すんな、こっちにこい、て抱きしめるお話しなの(おおざっぱ)。
でも、どっちも切実なんだよ。 女友達の大切さ、それがいかに特別なものであるかを、真剣に言おうとしている。
ひとつあげると、ミーガンが落ちこんでいるアニーのとこにいって、ソファの上でぎゅうーってのしかかるところ。ここにRyan Adamsの"Answering Bell"が被さるあたりって、ほんとしみじみ素敵だとおもう。
それにしてもKristen Wiigって、ぎすぎすした♀のかんじを出すのが最高にうまいよね。
それってもともとSNLの伝統芸でもあるのだが、ぎすぎす感を出し過ぎて疲れてどんより上乗せされた底なしの倦怠をちゃんと出す、それを演技と紙一重の微妙な線上で綱渡りできる、すごいひとだと改めて思った。 ("MacGruber" (2010) もおもしろかったなあ)
ちょっと前に買ってきたNew York MagazineのSpring Design特集にこれの監督のPaul Feigのマレーヒルにあるアパートがのってた。案外ふつーの趣味してた。
それよか、同じ特集には、Greta Gerwigさんのチャイナタウンのアパートが!
やっぱし猫がいた。 そして、”The Corrections”(原作:Jonathan Franzen、監督:Noah Baumbach)、なんとしても見たいよう−
5.17.2012
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