土曜日、「草を刈る娘」のあとで、横浜に出て見ました。
横浜日仏学院シネクラブ presents 『森の奥』。
19世紀の南フランスの田舎、でっかい屋敷に医師の父と娘と召使が暮らしている。
娘は敬虔なクリスチャンのようだが、どことなくぼーっと日々を過ごしている。
そんなある日、彼女を遠くから見ていた男 - 片足をひきずってて猿みたいな、(当時だと)不可触賤民みたいな若者が家の扉を叩いて、父親は家に入れてあげるの。 言葉がしゃべれない(でもほんとはしゃべれる)その男は、不思議な力を持っているふうで、娘は気持ち悪がるのだが、翌日、彼に催眠術みたいのをかけられて犯されて拉致されてしまう。
彼女は当然泣き叫んで何度も彼の元から離れようとするのだが、そのたびに連れ戻されたり、戻らざるを得なくなったり、そんなぐさぐさの辛い状態で家を持たないふたりの放浪が続いていく。
始めのうち、彼女から見た彼は、ひたすら不潔で不気味で得体が知れない世界の向こう側からきた他者として描かれるのだが、旅が続いていくにつれて、こちら側とむこう側がゆっくりと反転していく。 つまり、得体のしれないなにか、が彼の側ではなく、彼女の側に転移してくる。 それと共にふたりの立場も単純な加虐(男)→ 被虐(女)ではないかたちに変容していく。 それがなんなのか、どこに向かうのか、なにがそうさせたのか、男にもわからなくなって、男は萎えるように力を失っていく。 そのスリルと恐ろしさ。
いろんな光に溢れ、いろんな音(音響のとこにFrançois Musyの名前が)が鳴っている森の奥で起こるなにか。 とはなにか。
辛い旅が進んでいくにつれて、服は薄汚れていくのだが、肌が白いばかりでなんとなくぼよーんとしていた彼女の身体が、その顔が、どんどん透明に美しく、力強くなっていく。 その変化に相手の男もびっくりするが、見ているこっちも驚く。
彼の脚と絡まっていた彼女のすらっとした脚が、くるっとひっくり返るその瞬間、世界もひっくり返るの。
男が彼女を変えたわけでも、森の生活が変えたわけでもなく、おそらくは彼女が自分で変わったのだということ、それが最後のほうの凛とした顔つきに示されている。 その不思議を「森の奥」と呼ぶのかもしれない。
彼女を演じたIsild Le Bescoさん、すばらしい女優さんだわ。
南仏の風景のせいか、なんとなくRivetteの嵐が丘 - "Hurlevent"(1985)を思いだしたりもした。 あんな綺麗じゃないけど。
このシネクラブ、前回みたのは『僕のアントワーヌ叔父さん』でしたが(その次の『リグレット』は出張で見れず)、今回のもすばらしく当たり。 次も必見でせう。
しかし、こういう機会が余りにもなさすぎるねえ。 しかもやってるのは東京じゃなくて、横浜なんだよ。
5.24.2012
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