5.21.2012

[film] COLLABO MONSTERS!! (2011)

金曜日の晩、ユベール・ロベールの後、一週間前の残念だった天ぷらそばの復讐を上野の薮で果たして、そいから渋谷に行って見ました。

『TRASH UP!! presents コラボ・モンスターズ!!』ていうやつ。
http://www.collabomonsters.com/

どのへんが「映画の最前線」なのかあんまよくわからないけど、今の邦画ってほんとゴミみたいのばっかなので、よほどのことしない限り、じゅうぶん「最前線」になれるのだと思う。
見たのは以下の3本。

『kasanegafuti』27分

圓朝の怪談『真景累ヶ淵』がベースらしいのだが、圓朝のは随分昔に読んだきりで忘れてしまった。
男と女が一緒に暮らしてて、男は彼女と結婚したいので彼女の親に会わせろというのだが、彼女は、その妹も含めてなかなかうんと言わなくて、やがて男の父親が姉妹の父親を殺して服役中であることがわかるの。
単なる復讐譚に婚姻関係や父子関係という枠を上からすっとはめてみると、ほうらこんなに禍々しくどろんどろんになりました、なんででしょ? おもしろいなー、というお話し。

とにかく、おめでたい結婚がベースにある話のはずなのに、出てくる連中(特に当事者のふたり)がずっと暗い、呪われたような顔と目しかしていないとこが、おかしい。 「結婚したいんだから父親に会わせてくれよう」って暗い声でいうの。自分から呪いを呼びこんでいるとしか思えなくて、それはそのままそういう結果を呼ぶの。 でも話に変な跳躍があったりするわけではなくて、全ては起こるべくして起こる、でもなんかおかしい。 そのなんかひっかかってくるかんじを映像は過不足なく表現しているの。背中がよじれてくるような変な切り返しとか。

あと、冒頭と最後のほうに出てくる「淵」の映像がとにかくすばらしい。(撮影は芦澤明子)

『love machine』27分

小さい頃から女の子の尻を追っかけないわけにはいかない性分を持ったかわいそうな男子のお話し。好き嫌い、とか恋愛、とかいうよりも食べ物の形状がマッチさえすればとりあえず、取りにいく、食べにいく。 怒られても気持ち悪がられても刺されても、とにかくめげないしまったく陰惨にならない。
憧れていた親友の奥さんに手が届きそうになったところで、その奥さんが突然轢かれてしんじゃって、幽霊になってちょこちょこ出てくるのだが、恋するマシーンであるところの彼は、生死なんて関係なしに柵を飛びこえて向こう側に行ってしまうのだった。

これも落語にありそうな色男モノなのだが、どちらかといえば色機械で、情も因果も無縁で、主人公の顔も正にそんな、ひとりで死んでれば系のプレーンでどうでもいいかんじふうなとこがいかった。 マシーンならそうこなくちゃね、と。

『旧支配者のキャロル』47分

昨年見た『死ね!死ね!シネマ』 (2011) と同様、映画を真剣に撮るつもりがないやつは死んじまえ - 系のスポ根ドラマ。
映画学校にはいった女の子が卒業制作の監督に抜擢されて(映画のタイトルはここで制作される映画のそれでもある)、さらに憧れだった講師かつ女優のおばさんをキャスティングできて、がんばる。 でもそれはそれはありえないがんばりで、足らなくなったフィルムを買うために体まで売ったりして、で、がんばりすぎて絶命しちゃうの。

これはもちろんフィクションなので、過酷な映画制作の現場を考える/訴える、そのリアルさ確かさを云々するなんてことよか、支配者と被支配者間の、旧支配者と新支配者の間の殺るか殺られるかのぐさぐさしたやりとりを見るべきなのだろう。

映画で潰されることなんてないし、あってはならない、というまっすぐな彼女と、現場では心にスタンガンを持って臨むべし、と言って実質的に現場を支配してしまうベテラン女優の確執。
(松本若菜と中原翔子、このふたりの凄まじい激突、ここだけでもじゅうぶん見る価値がある)

でも、話が進んでいくにつれ支配者は、階層の最上位にいるのは彼女でも女優でもなくフィルムそのものであることがわかってくる。
映画の完成に向けて、フィルムのために心身を削っていく彼女と、フィルムに残ってしまうのは自分なの、だから中途半端に撮られたくないの!という女優と、どちらもなんか本質的ななにかを見失ったままぐるぐる回っているようだ。(それこそが支配の本質でもある、と)
そして、だからといって、そこに空虚な、やりきれないなにかが映ってしまっているということでは勿論ないの。 

だから映画はおそろしいんですよ、てこと?

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。