日曜日も死んでて、夕方から新宿で1本だけ見ました。
向こうにいたとき、IFCでやってて見たかったやつ。
60年代末から70年代初まで、スウェーデンの放送局が米国におけるBlack Powerの盛り上がりをドキュメント映像として残した。
その素材を2011年、米国Brooklynの連中(主に)が、今を生きる人たちの証言を被せて、Mixtapeとして世に出した、と。
当時の声と今の声が共鳴しあい、当時の映像と現在の音楽(担当はQuestlove)がぶつかりあう。
すんばらしくおもしろく、スリリングで、お勉強になる作品でした。
Martin Luther King Jr. 〜 Malcolm Xを経由し、"Black Power"という概念を広めた活動家Stokely Carmichaelのインタビューから入って、その後のBlack Pantherによる政党活動、これらが68年の闘争やベトナム戦争とも絡みあい、運動そのものが先鋭化していった時代 -更にUCLAの助教授だったのにレーガンによって投獄されてしまうAngela Davisさんの証言、ふつうの市民の発言、などなどを通して、あの時代とあの運動を概観し、かつ的確に切り取る。
よいのは異国であるスウェーデン(なんでスウェーデン?)の目を通すことで、変なバイアスがかかったものにはなっていないところ(勿論、異国であるが故のそれ、はあるにせよ)で、だから質問も答えも澱みなく核心を突いたものになっている。 タイトルから想像されそうな猛々しいイメージとか扇動的な発言はほとんどない。活動の中心にいる人たちの語り口はとても静かで穏やかだ。(最後のほうのLouis Farrakhanのだけ、ちょっと変だけど)
特に武装・非武装を巡ってなされるAngela Davisさんの発言の切実なこと。
目的と手段を取り違えるんじゃない、と。家のまわりに銃や爆薬を持って追ってくる白人たちがうろうろしている中、銃を持たずに生きていくことなんて不可能だったのだと。
差別反対! とかそんな幼稚なことは言わない。子供達を銃や麻薬から遠ざけておくにはどうしたらよいのか、というごく具体的な、普遍的な問いがテーブルの上に置かれる。
そして、その普遍性故に、この運動は現在に繋がる、繋がりうるのだと。
1%とか5%の富裕層が社会資本の大部を占めるような今って、あたりまえにおかしいでしょ、ありえないでしょ、という詩人のSonia Sanchezさんの静かな声で締まる。
これらの映像に被さる現在の声は殆ど音楽をやっている人たちので、それは意図的なもの、というよりとても自然なものだ。 彼らは映像のなかの昔の人たちの言葉を継ぐように自分たちで音楽を始めて、この映画のなかで、映像に向かって語り返している(対話が成立している)ようにも見える。
Erykah Baduさんの鈴のように美しい声(子供の頃学校で教わった歌をアカペラで静かに歌うところから入る)、Talib KweliやJohn Forté (The Fugees)の、やはり静かな、しかし力強い言葉たち。
そして音楽。Questloveさんの、あのかつかつした固いスネアを中心としたトラックが北欧としかいいようのない妙にスタイリッシュな映像(特に終盤の70年代のハーレムの、どこを切ってもR&Bのレコードジャケットになりそうな)に絡んだときの気持ちよいことったら。
ここにPublic EnemyやBad Brainsを流したらあかん、ということを彼らは知っている。
そんな、繰り返し聴いていけるMixtapeなの。
しかし、昨年の"Brooklyn Boheme" (2011)を見て、これ見ると、Brooklynのこの辺の人たちって、いま世界でいちばん理知的なミュージシャンたちではないか、とおもうの。
5.16.2012
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