10.27.2026

[film] NAZA (2026)

10月24日、土曜日の午後、シアター・イメージフォーラムで見ました。
 
監督は“No Other Land” (2024)のYuval Abraham とRachel Szor - ふたりのイスラエル人。Guardian紙とJW Filmsの制作による英国映画/ドキュメンタリーで、こないだのヴェネツィアでプレミアされて喝采を浴びて審査員特別賞を受賞している。

既に50以上の国で公開され、グローバルのストリーミングは11月下旬からGuardianのサイトで可能になるとのこと。
 
テルアビブの夜中のビルの上 - 屋外(室内だと盗聴される可能性があるから)でYuval Abrahamが匿名のイスラエル軍の関係者24名に3年間に渡ってインタビューをしていった記録(もう1人のRachel Szorは撮影担当)、それだけの77分。 インタビューされる軍関係者の顔は見えないように、声も変えられている。
 
戦闘や虐殺の凄惨な現場が映しだされるわけではない。夜の、相手の表情が見えない聞き語りと軍関係者が自分で描いたりする説明の絵図と、たまに向かいのビルのなかで瞬くディスプレイとか、その程度の、全体としては極めて静かな都会の夜を映した映画。 なのだが、しばらく吐気が止まらなくなる、そういう強さをもった内容ので、でも必見。 現代の戦争ではここまでのことができてしまう、それが許されてしまう、という現実は広く知られるべき。
 
NAZAはIsrael Defense Forces (IDF)が使うヘブライ語の軍内の符牒で 、Nezek Agavi - Collateral damage - 巻き添え被害 - 民間人の巻き添えとなる規模を示す単位のこと。 彼らが標的とするハマス構成員を殺害する際に巻き添えで殺される可能性のある民間人(含子供)の数で、NAZA20、というのはその暗殺の巻き添えで近くにいる20人の女性や子供が殺される可能性がある、ということを示し、NAZA20までなら上の承認を必要とせずに即時で実行可能、それ以上であっても却下されることはほぼなく、ハマス構成員のまわりのNAZAを全部足すとガザの総人口を軽く上回ってしまう、と。つまり…
 
何度も言及される2023年10月7日のハマスによるイスラエル攻撃、これへの報復、というかたちでイスラエル軍はガザ地区での標的特定のためにAIや携帯電話による監視、盗聴、妨害、建物内部まで含めた地図、地形へのリンクを用意し、目的(報復)達成のためにあらゆるインテリジェンスにテクノロジーを駆使して、実証実験も含めてやりたいように実行してきた。インタビューに答える軍関係者は、そこにおける自分の役割を語り、その「実行」については、AIがドローンが狙撃部隊が、という言い方をするが、目的はガザ地区からパレスチナ人を一掃する(ジェノサイド)こと、で統制されている。
 
というような語り口だけを取れば淡々としたやり取りが、静かなテルアビブの夜景にしみていく。そこにモンタージュされるTVのニュース映像に映るネタニヤフの姿、「みんなでやれば…」みたいなスローガンの看板、シネマテークでのランズマン特集など。
 
やり口は異なるもののここで進められている殺人の自動化効率化による住民の徹底的な排除と殲滅、はナチスがやったこととどこがどう違うのか、仮に違っていたとしてもこの組織的、計画的な取組みの何をもって、どう正当化しうるのか、まったく理解できない。
 
そしてこんな国と関係(友好だろうがビジネスだろうが)を結ぼうとしている自分の国がほんとうに恥ずかしい。お金のためで、自分の税金がそこに流れているのだとしたら許せないし、勝ち組だからみたいな意識なのだとしたらサイテーのクズ以下だし、あんなふうに人を、子供を殺して平気な連中と対話なんてできるはずがあろうか。
 
いま行われている選挙の結果如何で、大量殺戮が更に進んだりしませんように(祈)。
この映画が将来裁かれるであろうIDFについての、悪についての証拠映像となりますように。
 

Là-bas (2006)

 
10月23日、金曜日の晩、日仏学院のChantal Akerman特集で見ました。今回の特集で自分がみた最後の1本。 上映後に彼女の映画の編集を担当してきたClaire Athertonさんとのオンライントーク付き。 英語題は”Down There”、邦題は『彼方』。
 
Artist in residenceでテルアビブにアパートを借りて滞在するChantalが現地で撮ったドキュメンタリーで、簾のようなカーテン越しに見える隣のアパートでなにかしている住民たちの様子、海辺、夜景などに、彼女の声、電話での会話等が被さっていく。見知らぬ街に滞在するということ、そこから見える風景がすべてで、そこで感じられる距離、断絶、違和、それらの知覚や経験を確かめるようにひとつひとつ置いていく。 その落ち着きのない落ち着き。
 
目に映る耳に聞こえる平坦な平穏な景色、その彼方、背後、少し遠くで実行されてきた(ことを知っている)非道な暴力、その歴史と蓄積、その均衡のありように戸惑い、緊張・疲弊するさまが景色の切り取られかた、声の様子、などから窺うことができて、それは後のClaireさんとのトークでも、そういうかたちで編集していった – 彼女が書いていた大量のテキストを声におとす、等 - ことがわかって、なるほどー、だった。
 
そしてこの翌日に”NAZA”を見ると、その映像構成の類似に驚いてしまう。(製作者たちは影響を受けた作品として『関心領域』や”SHOAH”を挙げているようだが) 
 
この20年後、おなじ街の夜景が、こんなかたちで再現されることになるなんて、Chantalは想像しただろうか? そんなようなことも含めての『彼方』、もう一度見返してみたくなる。

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