10.12.2026

[film] Balada de um Batráquio (2016)

10月3日、土曜日、午前にシネマリスで『未知との遭遇』を見た後、ふらふらしながらアテネ・フランセ文化センターの坂をのぼって、午後からこの週にやっていた『現代ポルトガル映画傑作選2026』で見ました。最終日。

11分の短編  英語題は、”Batrachian’s Ballad”、邦題は『とある蛙のバラード』。
92年生まれのLeonor Telesの2作目。2016年のべルリン国際映画祭で短編部門金熊賞を史上最年少で受賞している。

ドキュメンタリーで、冒頭に昔々、すべての生き物は自由で平等で互いに寄り添うことができて、みんなが一緒に踊って幸せだった – のにお祝いに蛙だけが招かれなくて、蛙は絶望にかられて死んでしまった、という寓話が語られる。

ポルトガルでは「ロマ人立入禁止」のしるしとして、店先に陶器の蛙を置く風習があって(そんなのまったく知らなかった)、父方の祖母がロマ系である監督は、「そんなつもりじゃなかった」などど言われることは百も承知のうえで、それぞれの店に対して一軒一軒アクションを起こしていく、その記録。彼女が店の入り口に踏み入って、そこにある蛙の置物を手に取って、それを外の路上に叩きつけて壊して、逃走する。それだけ。アクションは一瞬で終わるのだが、入り口にある蛙の破壊が連続していくことで、なんとも言えない感覚をよびおこす。こんなに沢山の蛙とその数だけの絶望が店先に晒されている…

矢野顕子の『ふりむけばカエル』を流してほしかったかも、ってちょっとだけ思った。

あと、さっき見てきた”Digger”の最後もカエルの合唱だったな…


Terra Franca (2018)

↑のに続けて見ました。 英語題は”Ashore”、邦題は『水際』。原題をそのまま訳すと「率直な、自由な土地」、英語題だと「岸にあがって」くらい。

同じくLeonor Teles監督の長編第1作 - 80分。監督の故郷であるテージョ川沿いにある漁村 - Vila Franca de Xira - ヴィラ・フランカ・デ・シーラに暮らす漁師の一家の日常 〜 娘の結婚式に向かうあれこれを写し取ったドキュメンタリー。びっくりするくらいよくて、José Luis Guerínの『よき谷の物語』を思い起こしたりした。シネマ・デュ・レエル映画祭でSCAM賞のほか、多数の賞を受賞しているそう。

漁師で父親のAlbertinoは寡黙で70年代のBurt Reynoldsを崩したかんじのおじさんで、ひとり小さな舟に乗り込んで、毎日仕掛けた仕掛けの結果を見て、ぜんぜんだめっぽいのが続いてうううむー、なのだが文句を言ってもしょうがないので喋らずに腕を組んで遠くを見てばかり、更にここに自治体の環境規制や漁獲規制の話もあるので、どうしたものか、って更に固まっていくのだが、やはりどうすることもできなくて、黙るしかない。そんな彼の前に広がる川の、水の、すばらしい広がりときたら。

仕事はそんなでも家に帰れば妻のDáliaがいて、既に赤ん坊がいるけどもうじき結婚式をする予定の娘がいて、式や新しい生活に向けた準備あれこれと際限のないお喋りがあってなんだかんだ慌ただしく、こんなものかな、になっていく。

そんな家族の真ん中にカメラを置いて、インタビュー形式で語らせるのではなく、彼らがリビングやカフェで勝手に喋ったり言いあいしたりを撮って録っているだけで、特にすごい事件が起こったり感動的なストーリーやエピソードが語られたりするわけではないのだが、とにかくおもしろいったらない。

最後の結婚式も、ごく普通にみんなが笑って祝福している家族の集まりで、みんなずっと喋ったり踊ったり、その横でカメラを回している、それだけなのになんだかじーんとしてしまうのはなんでだろう? 『よき谷の物語』もそんなかんじのだった。自分のこれまでにもこれからにも、一切関係なかった、これからもないであろう人たちの声、語り、笑い、がなんでこんなに近くにやってきてくすぐってくるのか?

エンドクレジットで家族のスナップショットのバックにBill Withersの”Lovely Day”が流れてくるともうそれだけで…. ずるいや..

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