9月22日、火曜日の晩、Theatre Royal Haymarketで見ました。
オープン2日目で、これは日本でチケットを取っていた。もうひとつの候補としてやはりオープンしたばかりの、Noël Cowardの”Hay Fever” - 主演はRichard E. Grant – があって、どちらにするか悩ましかったのだが、Bloomsbury Groupが出てくるというのと、前日に見た”Virginia Woolf”とも繋がるのでこっちにする。
原作はJames Graham(新作)、演出はNicholas Hytner、イギリスのマクロ経済学の礎を築いたケインズ - John Maynard Keynes (Rory Kinnear)の1917年から1946年に亡くなるまでを、彼の愛人であったDuncan Grant (Thomas Flynn)と、42歳の彼と結婚することになるディアギレフのBallets RussesのバレリーナLydia Lopokova (Natalia Osipova)、学問上のライバルだったFriedrich Hayekらとの関係のなかに描く。
舞台上にはちょっとVanessa Bell作品の色味を思わせる四角が描かれた縦長の布が間隔を置いて下がっていて、モダンダンスの舞台セットのようにも見える。
そこにスーツ姿のKeynesがひとり立って、「よく生きる」とはどういうことかを考えてみたい、というようなことを語り、戦前の財政難の時期、彼がどんな人々と出会い、どう生きて、どんなふうに彼の経済学を打ちたてていったのか、等について。
マクロ経済学でも経済学でも、これまでまったく学んでこなかったのだが、彼がWhite Hallとの間で行き来していたロンドンから南に下ったCharleston - Bloomsbury Groupの拠点 - は大好きな場所で、今回も行きたかった(いま、Quentin Bellの企画展をやっている)のだが、ちょっと遠い。Vanessa Bellの家族や彼女のパートナーだったDuncan Grantが暮らしていたこの家には、Keynesの部屋(書斎)もあって、窓が大きな2階の見晴らしのよい場所なのだが、なんで経済学の人がここにいるの? はずっとよくわからなかった。
もともとKeynesは同性愛者でDuncan Grantと関係があったが、やがてLydia Lopokovaと知り合って結婚した。Duncan GrantはVanessa Bell(既婚)の愛人でもあったので、それでCharlestonにやってくるのだが、自由奔放なLydiaの登場はここのサークル - 舞台に登場するのはVirginia Woolf、Vanessa Bell、 Lytton Strachey、Dora Carringtonなど – 彼らも十分に変人だと思うが - を戸惑わせたりもする。
経済を安定させるためには政府の介入が不可欠であり、市場が自然に均衡するのを待つのではなく、経済不況時には政府が支出すべき – というKeynesの主張はHayek (Laurie Kynaston)が唱える、不景気は経済の膿が溜まって不健康になっている状態なので、ここで政府がお金を出して援助するとダメな会社まで生き残って市場経済が壊れていくので、政府は介入すべきではない、という主張 – こんなかんじでよいの? - と正面からぶつかって、いろんなところで波風を起こしていくのだが、彼自身は(体調は悪くなっていくものの)悠然としている。
時代背景、Keynesのクィアネスとその愛のありよう、学業/政策のあれこれ、生活におけるアート、など、彼の「よく生きる」を見据えたテーマは多岐多彩にばらけて、ところどころLydiaのバレエ - Natalia OsipovaはRoyal Balletの現Principalだし – がなだれこんできたり、これまで見てきたJames Grahamの過去作 - ”Dear England” (2023)や”Punch” (2024)と比べれば、たたみ掛けてくる勢いがなくて、やや散漫でとっ散らかったものに見えてしまうのかもしれない。
他方で、よりよく、豊かな生活を、と言った時に怒涛のなんかはそんなには必要ではなく、あれこれ顰蹙を買いまくりだったかもしれないけど、CharlestonでVanessa Bellたちが家具や調度を好きなように塗ったり壁に絵を描いたり、読書したり議論したり、の生活の方に目が向いて、ここで思い浮かべるのはCalvin TomkinsがGerald & Sara Murphyについて書いた”Living Well Is the Best Revenge” (1971) - 『優雅な生活が最高の復讐である』 のことで、Keynesが実現しようとしたこと、Charlestonでの暮らしについては、「優雅な生活」と言ってもよいのかも、と思ったり。彼はそれを中央で経済政策を考えたり議論したりしながらやっていったわけで、そこまで行くのは難しいだろうけど、”The Standard of Living”とは、そもそもなんなのか?これらを振り返るのだとしたら、いまなのではないか? とか。
終わってNational Galleryの前を抜けながら、あーあ官民の恣意的かつ傲慢な操作で完全に”Standard”の在処を失ってしまったバカで腐った国に明日は… ってしょんぼりホテルに向かったのだった。
ロンドンでの演劇はこれでおわり。
9.29.2026
[theatre] The Standard of Living
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