9.24.2026

[thatre] A Month in the Country

9月18日、金曜日の晩、Donmar Warehouse で見ました。

チケットはこっちに来てから複数の舞台(どれも既に売り切れている)の状態を時間をあけてチェックしつつ諦めたり絞りこんだり、の繰り返しのなか、これは前日の晩に飛び降りるようにして取った。Donmarでやる演目はだいたい外れないから。

原作はツルゲーネフの戯曲(1855/1872)、翻案はBrian Friel、演出はLyndsey Turnerand。

舞台の上にはでっかい水槽のようにガラスで囲われた箱 - 家? があり、その内側は樹が生い茂っているのか葉っぱがびっしり覆って奥に光はありそうだがうちがはまったく見えなくて、客電が落ちてそのガラス檻が上にあがる直前、主人公の主婦Natalya (Sophie Okonedo) が苦しそうに水槽のガラスに顔を押し当てるのが一瞬見える。

17歳の養女Vera (Rachelle Diedericks)の家庭教師として住み込みでやってきた純朴な好青年 Aleksey (Patrick Gibson) と、その反対にある田舎の、田舎としか言いようのない周囲の言葉や態度にうんざり飽き飽き窒息しそうになっているNatalyaの、誰がみても人のよい - 実際悪いところが見当たらない夫Arkady (Thomas Arnold)との生活に不足不満があるわけでもなく、カード遊びばかりしている姑Anna (Susan Brown)がうっとおしくて嫌で、というわけでもないのに、自分でもなんでそんなことを、の行動や言動が飛びだして、自分はあんなにも若いAleksey を好きになってしまったどうしよう… の顛末、その表情を追っていく。 使用人たちも含めた人物の配置や彼らの珍妙な会話や行動がところどころ絶妙におかしくて、そういうショートコントの重ね合わせのなかから、なんで自分はこんなところで… の焦りと苛立ちが搾りだされ、どこかから降ってきたようなAlekseyへの思いに対する戸惑いがあり、Alekseyもまじめにそれを打ち返してくるもんだからメロドラマの渦がまわりだす。

ちゃぶ台がひっくり返されたり、誰かが刺されたり自殺したり、のおおごとはなくて、建て付けはちょっと疲れているどこにでもいそうな大家族の中間層である主婦の日常を貫いた - 半ば妄想も込みの脱出願望 or 破壊衝動を起点としたクラシックで切ない恋のお話しなのだが、夫Arkadyとのそれまで見えなかったような段差とか、どちら側も恋仇になるなんて思いもしなかったVeraとの衝突とか、なんで? これが? 自分に? おこる? という幾重もの惑いのなかで、ところどころコミカルだったりほろ苦かったりのなんか切ない、という思い。これが19世紀半ばのロシアの演劇界にもたらした波紋 - 数ヶ月間上演できなかった - とか、この後に登場するチェーホフに与えたであろう影響はよくわかる。いま見てもこんなにもおもしろいのだし。

真ん中ですべてをきりきりと仕切っていくNatalya役のSophie Okonedoの表情 - 基本は鉄の無表情で、苦々しいなにかをとにかく飲みこんで吹っ切ってタスクをこなそうとする強さがところどころ何かとせめぎ合って、それが続いていくのでもうなんでもいいや、って疲れていく彼女の存在感がすばらしいの。成瀬の映画に必ずでてきそうな女性たち← 雑すぎ。

こういう題材の映画、昔から好きではあるのだが、演劇の舞台で演じられるとライブ感がたまらないなあ、と思った。床をどんどんどつきながら「ストーリーを!」とか吠えるようなのとは別の。

今回の滞在は、前に住んでいたフラットと同じ駅のところにしたのだが、劇が終わって劇場から帰るのにあまりにすたすたふつうに歩いて帰れてしまい、もう少し懐かしがるべきではないか、と少し反省したり。

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