8月30日、日曜日の昼、恵比寿ガーデンシネマで見ました。
『クロード・シャフロル傑作選 vol.2』として上映される3本のうちのひとつ。傑作選のvol.1は見れていないのだが、とにかく見る。邦題は『ヴィオレット・ノジエール』。Isabelle Huppertはこの作品でカンヌの女優賞を獲っている。こんなのが、これまで日本未公開だったの?
監督はClaude Chabrol 、撮影はJean Rabier、音楽はPierre Jansen、スタッフの名前をいくら並べてもこの映画全体を覆うみっしりとしたプロダクションの濃さ固さは説明できない気がする。 1930年代パリのあのアパート、ホテル、くしゃくしゃしたベッド、それらが目の前にあって、それは「再現」とか「体感」なんてレベルではなくそこに、ただ目の前にあるのを撮っているような。 タイパとかコスパとか「世界線」とか、バカのひとつ覚えのように唱える「関係者」どもを2時間映画館の暗闇に閉じこめてやりたくなるが、連中にはもったいなさすぎか、って。
実在した女性 - Violette Nozière (1915-1966)が実際に起こした犯罪を元に、どんなふうに事件が起こったのかを追っていく。なんで、どうして彼女が、は台詞等も含めて一切説明されないが、見ていれば経緯と連関はぜんぶ見えてきて、そうして画面上に示されたものが説明してくれるかというと、やれるもんならいくらでもどうぞと、そういう角度からの澄んで醒めた見通しのよさがある。謎のようなものはひとつもない。
10代のViolette Nozière (Isabelle Huppert)は売春をして小銭を稼いで、仕事仲間も顧客もお気に入りの学生もいて、きちきちに狭そうなアパートに帰ると列車の機関士をしている父Baptiste (Jean Carmet)と母Germaine (Stéphane Audran)がいて、ふたりの仲は悪くなさそうだが、どちらもVioletteには厳しく鬱陶しそうで、でもVioletteの実の父はBaptisteではないことを母と娘は共有していて、なのでVioletteは金がありそうな実父のところにたかりに行ったり、それに加えてアパートの金が隠してあるところからしょっちゅうくすねたりやりたい放題なのだが、医者からは梅毒がやばいところまで来ている、と言われて、自分は処女なのでこれは遺伝であんたたちから来たのだ、と薬(毒)を盛ってあっさり殺してしまう。
こういうお話にひっついてきそうな苦労や苦渋や愛憎など、こんなわたしに誰がしたなど、べたべたした湿気や目線を一切排除して、アパートとホテルとカフェの描写と行き来と簡単な会話のやり取り、親の娘に対する干渉の具合とそれに対する反応などで、どの辺に向かうどんな話なのか - 少なくともメロドラマとは違うし、サスペンスのように何かに抗うわけでもないし - はわかってしまう。Violette Nozièreはこんなことをしました。というのだけで、これだけのものができてしまう驚異。
運転する列車から元気よく手を振る父の思い出も何度か出てくるが、それでも揺るがない、というか吹っ切る、断ち切るための小道具のように浮かんできて、決まっていたことをやるだけ、のような。
それにしても、今から振り返ればなんの違和感もなくいつもの当たり前の彼女、としか言いようがないのだが、Isabelle Huppertの鉄面の、ちょっと歪んで、微笑んでいるのか怒っているのかの口元と、すべてをばちばちにはね返してしまう目の強さはとうにあって、Huppert = Nozièreの映画、それ以上でもそれ以下でもないの。
9.06.2026
[film] Violette Nozière (1978)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。