9.24.2026

[theatre] Electra / Persona

9月17日の木曜日から夏休みを取ってイギリスに行って、24日、木曜日の朝に戻ってきた。
6日間で演劇5本、映画4本、ライブ1本、美術館いっぱい。疲れて放心状態だが置いておくと端から消えていってしまうので書けるのから書いていきたい。

始まりはまだイギリスにいた頃で帰国が決まっていたんだかいなかったんだか、St. Etienneのフェアウェル・ツアーが発表されて、グラスゴーのライブのサポートがThe Pastelsだったので、グラスゴー行ってなかったしPastelsも見てなかったなー、と軽い気持ちでチケットを取って、その後に帰国が決まって、ちょうど日本はこの時連休だから休暇で戻ってくればよいのではないか、って円安がひどくなりそうだったので飛行機も押さえて、そしたらNational Theatreの演目でこれが発表になったのでついでに押さえて、身動き取れない状態に追い込んでいったのだが、そんなのではまだまだ甘かったことを後でしる。

(同じようにチケットを取ってしまっていて諦めざるを得ないやつに10月のCabaret Voltaire とかもあるの)

決めてからもグラスゴーはライブが終わった後に日帰りできるわけないので現地の宿を確保して、電車で行けると思っていたらその日曜日には電車がないので飛行機を手配することになり、そういうのが好きで得意な人ではないので、これはなんかの呪いだ、とかぶつぶつ言っているともう当日になっている。

飛行機がヒースローに着陸したのが17日の15:30、地下鉄を乗りついでホテルに入ったのが17:30、身支度整えて地下鉄でNational Theatreに向かって着いたのが18:10 - ここの本屋にはおもしろいのがいろいろあるのでざーっと見て買って、席についたのが、18:25。 開演は18:30、休憩なしで2時間。 飛行機が30分遅れたらアウトだった…

舞台は白木の段々が上に伸びていく様式で、真ん中にキラキラ輝くハンマー(ふつうのサイズの)が置いてある。

翻案・演出はBenedict Andrews。主演はCate BlanchettとNina Hoss。二本立て?で、”Electra”は演劇の定番 - ソフォクレスの悲劇、”Persona”はIngmar Bergmanの1966年の映画で、”Electra”を舞台で上演していて突然喋れなくなってしまった女優Elisabethと彼女を看る看護婦のAlmaのお話。古代劇と現代(心理)劇はどこでどんなふうに接続しうるのか、だけでなく、劇のありよう(古代と現代、映画と演劇)の対称性も視野に入ってきて、風呂敷はややでっかいかも。

開演時間になると最前列に座っていたCateとNinaが立ち上がって客席の方を向き、コイントスでどっちがどっちを演じるか決める、と。結果、この晩はElectra / ElizabethをNina Hossが、Electraの母Clytemnestra / Alma をCate Blanchettが演じることになった。(この配役がものすごくはまっていたので、最初から決まっているのでは、逆の組み合わせなんて用意されていないのでは、と少しだけ)

階段ステージに上がる時はシンプルな黒のシャツとジャージ姿で、どの登場人物も舞台の下に置いてあるバケツの白い顔料を自分の顔に塗りたくってから階段のステージを上がって、Electraは真ん中に置いてあるハンマーを手にすると、それを振り回しながら父の死に対する、そして父Agamemnonを殺した高慢な母Clytemnestraに対する怒りをぶちまけ続けて、母は貫禄でのろのろかわし続けて、そこに無垢な妹のChrysothemis (Ella Lily Hyland)が絡んで。

ふたつの劇の合間 - 本来休憩が入りそうなところは、掃除する人たちが殺されたAegisthus (Patrick Robinson)の血をモップでぬぐったり階段を掃除して、女優たちは階段のところどころで勝手に座ってメイクをし直して、何事もなかったかのように次の”Persona”が始まる。

“Electra”で怒りと共にあらゆる言葉をぶちまけ当たり散らしていたElectraはElisabethとなって沈黙と自閉のなかにあり、それを看護するAlmaは、先ほどの邪悪な役柄から離れて一見穏やかで優しく、そうしながらライブカメラ(映像はモノクロ)を持ち出して降りてきた小スクリーンに客席の我々の顔、彼女の、自分たちふたりの顔を投影していって、映画の浜辺の場面は舞台裏に消えたふたり、として表現される。

ベルイマンの映画にあったようなふたつの自我の融合 〜 ペルソナへの回帰(らしきもの)はここでも起こるのだが、映画のように強烈な印象を与えることはない。Electra を演じていたElizabethはなぜ沈黙のなかに籠ってしまったのか? なぜライブカメラなのか? Almaのやったことによって、なぜElizabethは治ったと言えるのか、これらの問いに明確な答えが用意されることはない。

これは演劇であり、演劇は舞台の上で、ライブで起こるイベントである、ということを明確に意識し、そこから始まってテーマ(問い)を置いていくというやり方。なので、なんとなくそうなのかも、くらいの答えを自分で見つけるしかないかも。ベルイマンの映画を見ていない人にはどう映るのだろう、とか。

ただ、ふたりの女優 - Cate BlanchettとNina Hoss - がライブでぶつかりあう演技、その迫力はすばらしかったのでそれだけでもー。

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