5月3日、土曜日のマチネを、National TheatreのLytteltonTheatreで見ました。
2021年に亡くなったStephen Sondheimが最後に手掛けたミュージカルで、原作はDavid Ives、演出はJoe Mantello。Luis Buñuelの2本の映画 – “The Exterminating Angel” (1962) - 『皆殺しの天使』 と”The Discreet Charm of the Bourgeoisie” (1972) - 『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』 をモチーフとして置いて、最初のリーディングのワークショップは2016年くらいから行われていたものの、いろいろな経緯を経て、NYのオフ・ブロードウェイで初演されたのはSondheimの死後、2023年であった、と。
一幕と二幕でトーンも含めて結構はっきり分かれていて、登場人物はほぼ同じだが別の芝居のようで、一幕目はブルジョワジーの秘かな愉しみ』をベースに、二幕目は『皆殺しの天使』をベースにしている。 ミュージカル要素が効いているのはほぼ一幕めの方。
舞台は真っ白でぴかぴかの金持ちのモダンなリビングのようなところで、上演前から執事のような男性と掃除婦の女性が掃除機をかけたりいろいろ磨いたり、汚れがないかチェックしたり、つんつんした顔と態度で(上演を?)準備している。
そのアパートにゲストがやってくる - ホストのBrink夫妻は呼んだ憶えがないらしいのだが、同様に金持ちらしい小ぎれいなZimmer夫妻と、南米の架空の国の大使Raffaelと、ホストの妻の妹で、革命思想に傾いている若者Marianneと。そこではなんの準備も用意もしていなかったので、みんなで外にブランチに行こう!おー! って歌いながら外にでる。
一行が最初に入った – “Café Everything”では、メニューはありませんなんでも作りますよー、と言いながら、注文を受けたウェイターがいきなり銃で自殺してしまったり、そんなふうに、次のレストランに行ってもどこも同様にあれよあれよと変なことが起こり、ご飯にありつけないままの彷徨いが転がっていく。歌も入ったどたばたコメディ風で楽しいのだが、『ブルジョワジーの...』 にあった悪夢と悪意に満ちた浮ついたかんじはなくて、こんなのいまのNYなら普通にあるよねー、で終わってしまうような。
3軒目のレストランあたりで、軍の偉そうな人と若い兵隊が加わり、更に失業中の司教も加わって、Raffaelの大使館にみんなで入っていったところで、どこかで銃声が響いて、携帯もほぼ通じなくなり、大使館の執事がいきなり悪の正体を現したところで一幕目が終わる。
二幕目は、大使館の屋敷のラウンジのようなところに閉じこめられた全員 - 金持ち、軍人、聖職者、悪魔、ヒッピー、あらゆる階層と職業の人たち - が、引き続きご飯にありつけないまま嘆いたり絶望したり発作にあったり、熊にあったり、でも映画 『皆殺しの天使』にあった、超越的な何かを浮かびあがらせたり揶揄したりするような仕掛けや視点はそんなになく、次から次へと起こることが起こるべくして、なかんじの、ふつうの悲喜劇の枠から出ていなくて、おもしろいけどそれだけ?それで? になってしまっているような。
閉じこめられた彼らのやりとりは形而上から形而下まで網羅した悲劇的なものとして描写される反面、やや大仰すぎて噓っぽくも見えて、いまのガザに閉じこめられて身動き取れなくなってしまっている人々のことを考えると、なんだかちっとも笑えなくなってしまうのだった。 ”Here We Are”って言えてよかったね、とか。
Stephen Sondheimのミュージカルをきちんと見てきていないので、彼のミュージカルとしてどう、というのは書けないが、ミュージカルとしては耳に残ったり場面が浮かんだりするところが余りに少ないので、割と失敗かも。
アンサンブル劇としてはブニュエルというよりはアルトマンの方かも。だからどうした、ではあるが。
Krapp's Last Tape
5月2日、金曜日の晩、Barbican Theatreで見ました。『クラップの最後のテープ』。 約60分の一幕ものなので、簡単に。
原作 (1958) はSamuel Beckett、演出はVicky Featherstone、主演(一人芝居)のKrappをStephen Reaが演じる。
暗闇の向こうにチョッキを着て机に座って幽霊のような69歳のKrappの像が浮かびあがり、ふつうあんなところにはない机の長い引き出しを開けて、そこからバナナを取り出して食べて皮を捨てて、かつて自分が誕生日前日に吹きこんだテープを聞いていく - テープレコーダーがまだ存在しなかった時代に書かれた、人と時間、記憶のありようを巡る思索劇で、ぜんぜん古くない。むしろAIやアバターが、なりすましがふつうに話題や問題になったりするいま、こんなふうに吹きこまれて「再生」される過去の自分 or 今の自分とは、その間にあるのは、溝なのかバナナの皮なのかなんなのか? を問うてくる。
ひとによっては、で? それで? になるやつかもしれないけど、いろいろ考えさせられる。
いま、Yorkの方ではGary Oldmanが同じ芝居をやっていて、そちらも見たい…
この芝居は(「ゴドーを待ちながら」もそうだけど)、いろんなバージョンのを見るのがよい気がして、見れるものを可能な限り追っていきたい。
Future Ruins、行ったほうがよいのか.. ?
5.15.2025
[theatre] Here We Are
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