5月7日、水曜日の晩、国立映画アーカイブの特集 - 『撮影監督 三浦光雄』で見ました。
5日の朝から8日の朝まで急用で帰国していて、7日だけ買い物そのたの時間が空いて、松屋銀座のミッフィー展(→グッズ売るための囲い込み鷺)とこの1本だけ見た。
この特集、有名な監督の作品も多数あって、これまで見てきて頭に残っている戦前・戦後の情緒的なところも含めたいろんな映画のなかの風景はこの人が切り取って焼きつけたものが多いことを知る。これってなんだかすごいことなのではないか、って。
原作は泉鏡花の古典、「をんなけいづ」と読む。 監督はマキノ正博、初公開時は正篇101分、続篇83分の2部作で、現存するのは戦後監督自身が再編集した108分の今回上映された版のみだという。
この原作の映画化はふたつ目で、最初の(1934)は監督が野村芳亭、主演のふたりは田中絹代と岡譲二(これも見たい)。
この主演のふたりというと『鶴八鶴次郎』 (1938)があって、あれもせつないやつだったがこれも… せつない、というよりあまりにかわいそうすぎて腹がたって胸とお腹が痛くなった。
芸者お蔦(山田五十鈴)とぷらぷらスリとかをやっていた主税(長谷川一夫)はずっと近所の幼馴染で仲がよくて、ある日、主税が大学の先生らしい酒井(古川緑波)の財布をすろうとしたら失敗して、でも酒井は更生させてやるからうちに来い、って彼を自分の家に住ませて勉強などもさせたら研究者として芽がでて、酒井の娘の妙子(高峰秀子)にも気に入られ、やがて独り立ちする。そんなある日町角で再会したお蔦と主税は、改めて惹かれあって小さな所帯をもつことにして、無邪気で一途なお蔦といろいろ学んで体面とか分別とか気にするようになってきた主税はたまに噛み合わないこともあるものの幸せに暮らしていた。
将来を見込んで育ててきた主税が研究者としても一人前になって、妙子も惚れているようなので結婚でもさせてやるか、って主税のところに行ってみたら彼はちゃっかり所帯をもっていたので酒井は激怒して、てめー育ててやった恩も忘れて勝手に所帯もつとはなにごとかー、ってお蔦とは別れるようにきつく言い渡して、それを受けた(うけんな)主税はお蔦とふたりで外に出て、久々のデートだぁってはしゃぐお蔦に天神さまの境内で別れを切り出すの。それ本気? ってお蔦は聞いて、そっちがそうならこっちも本気で別れませんよ、ってさらっとかわす彼女がかっこいいのだが、主税の将来のことを思って身を引いて、地方に赴任することになった彼の見送りも駅の隅でそっと見ていて、でも列車が走り出したら我慢できなくなって… とか。
この後、お蔦は病に倒れて一目会いたいのは主税だけなのに憎たらしい酒井とかがやってきて..
後半はお蔦がかわいそうでかわいそうでしょうもなくなるのだがしかし、それ以上に酒井のくそじじいに腹がたってムカついてそれどころじゃなくなってしまうのだった。 てめえが全ての原因つくった諸悪の根源のくせに一言の謝罪もしないで、死の床にあるお蔦に向かって俺のことを主税だと思え、とか、ふざけんじゃねえよツラの皮。お蔦、中指たててそのままじじいの鼻の穴に突っ込んで脳みそほじくり出しちまえ、って強く思ったわ。 ほんと、あれこそが日本の軍の中心にあったクソ男共のメンタリティなんだろうな、って。
これの他に妙子も酒井が芸者小芳(三益愛子)との間に生ませた娘で、お蔦のお見舞いに来た妙子が髪を結ってほしい、と彼女に頼むシーンで、お蔦のところにいた小芳に実娘の髪を結わせてあげるとこも泣け(て、またこいつか、ってあたまく)るの。
横に絶対悪みたいな男を並べてしまったせいもあるのかもだが、ここでの山田五十鈴は本当に本当に不憫でかわいそうで、でも自分のなかの大切なものだけは失っていない強さと美しさを湛えて生きていて、その姿は改めて本当にすごい、最強の俳優だ、って思った。幽霊として現れてもなんの不自然も感じさせない - 死んでいるのに生きているかのようにそこにいることができる、というのは名優の条件だと思うが、軽々とやってのけて、あの暗がりに立っている像がずっと残る。
5.19.2025
[film] 婦系圖 (1942)
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