5月17日、土曜日の午後、BFI SouthbankのMai Zetterling特集で見ました。
英語題は”The Girls” (日本では公開されていないの?されていたらごめんなさい)。
上映後に研究者を含む3人の女性によるディスカッションがあった - がこちらは略。
監督はMai Zetterling、脚本はMai Zetterlingとパートナーの英国人David Hughes。
原作はアリストファネスによる古代ギリシャ劇”Lysistrata” - 『女の平和』(411 BC)。
公開当時、Simone de Beauvoirがル・モンド紙で"The best movie ever made by a woman"と絶賛した、と。2012年にはスウェーデン映画のオールタイムBest25の1本にも選ばれているそう。
Liz (Bibi Andersson)、Marianne (Harriet Andersson)、Gunilla (Gunnel Lindblom)の3人の舞台女優がいて、彼女たちの所属する劇団が”Lysistrata”を上演するツアーに出ようとしているところで、でもそれぞれに既婚の恋人を置いていったり、子供の世話を頼めなかったり、夫から文句を言われたりいろいろあって、ツアーに出たら出たで、劇の最中は、多くの男性客が寝ていたり無表情だったりがひどくて、劇のテーマがきちんと伝わっているかどうかわからなかったので、、終演後、客席に残って少しトークをしませんか? と客席に呼びかけても雰囲気が微妙に、男性はまた無表情に戻って、要は女性に指示されたりが嫌なようで、それなら女性客だけを相手にするか、とかいろいろ話して、それでも男性たちからは早く家庭に戻ってきてくれとかうるさいので、もう別れるしかないな、になっていく。
女性たちが女性たちのための芝居をやる、それも紀元前に書かれたようなクラシックだし、職業として劇団に参加している以上ツアーなんて普通にあることなのに、始まる前からも始まってからも何かを言ってやりたくて我慢できない - 家を長期間留守にすること、夫の相手をしないこと、子供の相手もしないこと、夫のよく知らない技術でもって自分の仕事をしてお金を稼ぐこと、などに異議いちゃもんを唱えたい男たちがいて、あらゆる角度から首を突っこんできて従わせようとする。
といったことが振り返って見ればよりはっきりと見えて、それってアリストファネスが劇のなかで書いた時代のとなにひとつ変わってないのにあきれる。自分たちのことは一切言われずに容認されてきた男性たちが、そういう自分のありようを振りかえることなく平気ででかい顔をしていられる、ということに。
1968年、という年を反映したドラマでもあるのだろうが、68年ですらこの地点か、というのとそこから50年を経ていても大差ないな(後退しているんじゃないか?)とか、でも原作上演時からだと2436年経っているんですけど… とか。 ならいいかげん諦めたらどうだ、って平気な厚顔で言ってきそうな今日この頃が、笑えるような笑えないようなトーンで描かれていて、トータルではやはり、ぜんぜん笑えない – 笑うべきなの?
Älskande par (1964)
5月18日、日曜日の午後、BFI Southbankの↑と同じ特集で見ました。
英語題は”Loving Couples”。邦題は『歓喜のたわむれ』(←ポルノか..)
監督はMai Zetterling、彼女の監督としての長編デビュー作で、同年のカンヌにも出品された。原作はスウェーデンの小説家Agnes von Krusenstjerna(1984-1940)による同名小説 (1933)で、Mai Zetterlingは後の監督作”Amorosa” (1986) - 未見 - で彼女の人生を映画化している。
第一次世界大戦が始まる前のスウェーデンの古く重厚そうな病院に3人の女性(Harriet Andersson, Gunnel Lindblom, Gio Petré)が出産のためにやってきて、悲しんでいる女性、苦しんでいる女性、浮かれている女性それぞれで、彼女たちがここに来るまでにどんな生や家庭環境を経たり交錯したりしてきたのか、結婚と出産は繋がっているのかいないのか、等を、フラッシュバック、フラッシュフォワードを繰り返しつつ置いていって、歓喜も辛苦もひとそれぞれなのだが、共通の通過点として描かれるのが1914年の白夜の晩の出来事で、白夜映画といえば思いだすベルイマンの“Smiles of a Summer Night” (1955) - 『夏の夜は三たび微笑む』ほど明るくもおめでたくもないのだが、やはり悲劇的なところも含めてなだらかで大らかに見えるところもあり、それは監督も語っているようにスウェーデン的、なものなのかもしれない。
主人公として複数の境遇にある女性を置く、というのは↑の”The Girls”と同様だが、”The Girls”ほどメッセージに重心を置いていない分、(原作のトーンなのかも知れないが)物語の複雑さが前に出てきて、こちらの方がのめり込むようにして見れたかも。
俳優として彼女の出演した英国映画を中心に見てきた後に、これらの監督作(の初期)を見ると、なぜどうしてここまでのものを? というのは探りたくなるかも。
5.27.2025
[film] Flickorna (1968)
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