5.08.2025

[film] Thunderbolts* (2025)

5月1日、木曜日の晩 - まだpreview扱いだったが - BFI IMAXで見ました。

監督は”Paper Towns” (2015)のJake Schreier、撮影はDavid LoweryとやってきたAndrew Droz Palermo、音楽はSon Luxなど、とてもMarvelフランチャイズの諸作に並べられるような粒立ちやメジャー感はなくて、それはキャストもそうで、Florence Pugh, Sebastian Stan, Julia Louis-Dreyfusを除けば有象無象すぎでヒーローものの華も勢いもなくて、しかもタイトルに雑検索用の”*”まで付いて、要は従来路線とは違うことをやろうとしている、そしてそこに間もなく公開される(やたら宣伝がうるさくなってきた)”The Fantastic Four: First Steps” (2025)のレトロフューチャー仕様を加えるともうぜんぜん違う何かに投資・変態しているようなのだが、このシリーズはずっと追っているのでしょうもなく付きあって公開初日に見てしまうのだった。

冒頭からYelena (Florence Pugh)は浮かない顔でマレーシアの高層ビルの上から飛び降りてやりたくもない請け負いの殺し仕事をやってて、雇い主のCIAのValentina (Julia Louis-Dreyfus)は弾劾裁判をくらって旗色も顔色もよくなくて、気分が晴れないYelenaはAlexei (David Harbour)を訪ねて、一緒に指令を受けた秘密施設に赴くのだが、そこに有象無象の連中がいて勝ち残りバトルをしながらこれは互いに潰しあうホイホイ系の罠だ、って気づいた時にはもう遅い。

その中にはBob (Lewis Pullman)っていうパジャマみたいな拘束衣みたいのを着た毛色の違う男がいて、のらくらぶりが気になるのだが、力をあわせてその施設を破壊して抜けだして車で逃げていくと追っ手がきて、彼らを助けるのか捕まえるのかBucky (Sebastian Stan)も現れて。

こんなふうに、明白な敵や強者が現れてそこに向かって立ちふさがる、或いはFirst Avengerのようにお国のために立ちあがる、といったポジティブな動機もなければ、スーパーパワーもそれに沿うべく積極的に獲得されたものでもない、単なる金づるだったり、AlexeiもBuckyのように過去からの柵でしかなかったり。

ストーリーラインも、集められた者同士で殺し合い、その中の突出したひとりが手に負えないので力を合わせてどうにかする、それを抜けてみると明らかな政治利用目的(と弾劾目眩し)で勝手にリプランドされて周知されて逃げようがなくなる、というもので、こないだの”Captain America: Brave New World” (2025)がそうだったように、はっきりとどーでもよいインナーポリティクスのごたごた(のエサ)を描いているだけ。

たぶんもう”New World”も新たなヒーローもこんなふうに押しつけられる形でしかやってこなくて、そんなとこで”Brave”もクソもないのだ(拡張戦略もマーケティングも)という背景の暗さと脆さが公開前から丸見えで、でもだからこそ愚連隊がやけくそでめちゃくちゃやってくれることを期待したのだが、そんなでもなかったところが苦しくて、そんなふうに置かれた苦しさや苦さも含めてわかって、というのかもしれないが、そこまで暇でもマニアでもないのよねー、とか。

寄せ集められ、束ねられて見られる、そこで期待されるやっつけ仕事の徒労感と先の見えないかんじはよーくわかるので、あと少しでおーやったやった、になれたかも知れないのに、あのラストは興醒めしてしまうし、こんなの契約違反、って椅子を蹴る人がいてもおかしくないのに。

戻りの飛行機でYelenaの姉の代の”Captain America: The Winter Soldier”(2014)を再見して、誰が本当の悪なのかわからない中、ただ正直でありたい、と語ったSteve Rogersのあのわかりやすさ明快さは政治や地政がコミックになってしまった今、望みようのないところまで行ってしまったのだろうか、とか。

こんなふうにぐだぐだどうでもよいことを考えるネタは与えてくれるのだがなー。

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