5.02.2025

[film] The Only Game in Town (1970)

4月25日、金曜日の晩、BFI Southbankの特集 – “The Old Man Is Still Alive”で見ました。

監督はGeorge Stevens – これが彼の最後の作品、原作はFrank D. Gilroyの同名戯曲(1968)で、撮影はHenri Decaë、音楽はMaurice Jarre。 邦題は『この愛にすべてを』。

ヴェガスでコーラスガールをして独りで暮らすFran (Elizabeth Taylor)がいて、ナイトクラブのラウンジでピアノの弾き語りをしているJoe (Warren Beatty) - ピアノは彼が実際に弾いているそう - と深夜に出会って、そのままJoeはFranのアパートにやってきて一夜を共にして朝を迎える。どちらもひと晩限りの関係だと思っているので、寝起きも朝食も素のままで、言いたいことを言ってやりたいように過ごして、そういう状態なので、なんでもおおっぴらで気にしなくて、こうしてお別れで絶たれることはなくJoeはまた寄ってくるし、Franは待つようになるし。

FranにはSan Franciscoに金持ちのTom (Charles Braswell)という男がいて、でも彼は既婚者で離婚するのをずっと待っているけど連絡も途絶えているとか、Joeはヴェガスは好きではないのでNYでピアノ弾きとして独り立ちするために5000ドルを貯める必要がある、のだが博打狂いなので貯まる端からすいすい使ってしまってずっとすっからかんのままだったり。

互いの欠点や気に食わないところを言い合ったらきりがないし、そういうことをする関係ではない/にはしないことはいい大人としてわかっているので、喧嘩らしい喧嘩にはならないし、Joeは金に困ったら野良犬のようにしょぼくれてFranのところにやってきて、彼女はしょうがない、というかんじで入れてあげて、でも彼がしばらく来ないと心配になってバーまで見に行ったり、が繰り返される。

もうそろそろこの状態を終わりにして普通にカップルとして暮らしてもよいのでは、ってなって二人で買い物に出かけて戻ってくるとTomが部屋にいて、離婚が成立したので迎えにきた一緒に来てくれ、というし、それを見て出て行ったJoeは博打でどうしようもない大負けをして…

ふつうのrom-comにあるカップルとしての幸せの探求というゴールも選択肢は最初からない状態で、むしろその罠を回避するかのようにFranのアパート、ナイトクラブ、賭場、夜中と夜明けをぐるぐると巡っていって、ようやく“The Only Game in Town”というのが結婚のことなのか、って見えてくるのだが、それで勝とうが負けようがもういいや、みたいな境地を感じさせてしまうふたりの演技 - 作りこみの果ての素、みたいな - はすごいな、って思った。

最初Joeの役はFrank Sinatraが演じる予定だったそうだが、Elizabeth Taylorの脆くて神経質なところと投げやりなところが表面に同居しているかんじと、普段は軽い、って自分で思っているのに博打に打ちこんで狂って止まらなくなっていくWarren Beattyの焦燥と憔悴のかんじ、このふたりが手をとって確かな明日を掴むなんてまったくあると思えないのに、首を傾げつつ離れてまたくっついてを繰り返す絵がものすごくよくて、なんかわかってしまう。

今の俳優でこの艶と情感をきちんと出せるのって誰かいたかしら? ってあれこれ考えたり。

最初の撮影はパリだったそうだが、Henri Decaëの人工の光を散らして明滅する画面作りの眩さ美しさと、その反対側のFranのアパートの散らかっていないのにアメリカぽく殺風景なかんじが絶妙にはまって、つまりこれがヴェガスなのよ、って。音楽も含めてこのかんじはどこかで ー、って思ったらSoderberghの”Ocean's Eleven”(2001)あたりかも。あの画面の濡れたかんじとか、男たちのすかした(でも全体として間抜けな)かんじは、全部この映画からではないか、とか。

巨匠の最後の作品にはちっとも思えないのだった。

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