5.14.2025

[film] Julie zwijgt (2024)

5月2日、金曜日の晩、Barbican Cinemaで見ました。  

ベルギー映画で、監督はこれが初監督作となるLeonardo Van Dijl、昨年のカンヌの批評家週間で上映されて、共同プロデュースにはダルデンヌ兄弟の名前が、そしてExecutiveプロデューサーにはNaomi Osakaの名前がある。 英語題は”Julie Keeps Quiet”。

ポスターは主人公Julie (Tessa Van den Broeck)が叫んでいるように見える歪んだ顔のクローズアップで、それでも“Keeps Quiet”とは?

15歳のJulieはエリート向けテニスアカデミーに通っていて、その中でも将来を見込まれて特別待遇を受けている選手で、本人もやる気十分でばりばり練習している - Julie役のTessa Van den Broeckは演技経験のないテニスプレイヤーで、撮影前に6週間のワークショップに参加しただけだそう。

ある日、同じアカデミーにいて、しばらく前に自殺したAlineという選手のコーチをしていたJeremyが協会から謹慎処分を受けてもうここには復帰できない、という連絡を受けてざわざわする。JeremyはJulieの専任コーチでもあった。

はじめのうちはふーんそうか、と独りで黙々と練習をしていくJulieだったが、そのうち何でこんなことになっているのか、Jeremyの指導がないと前に進めない、という苛立ちや焦りが彼女を追いつめていく(ように見える - ただし推測)。そしてJeremyからはJulieのスマホにちょこちょこチャットでメッセージが入ってきたりする – がそれに応えたらいけないと思うので相手にはしない(後で少し話してしまったりはする)。

何も語らないJulieは、Alineの自殺の根にあったものもおそらく知っているし、なぜJeremyが謹慎処分になったのかもわかっている。これらを吹っ切って練習を続けないと自分に選手としての将来がないこともわかっている。これらに囲まれて塞ぎこんでいる彼女のことを心配した大人たちが集まってきてカウンセリングのようなことも始まるのだが、Julieは沈黙を続ける。ここでJeremyとの間にあったことを話すと自分の今後の活動に影響するかもしれないし、最悪の場合、好きなテニスを続けられなくなってしまうかもしれない。そして大人たちは大人たちで、Julieが何かをスピークアップしまうことで自分たちの監督責任が問われてしまうかもしれない、ので無理な深掘りはせず遠くから恐々眺めるだけ。 - という状況が延々繰り返されていって、全体としては袋小路のなか、これはなんなのだろう? の不条理が浮かびあがってくる。 そしてこうして、周囲になにも言えなくなる空気や状況が形づくられていくのか、と。

少し前のテニスドラマ – “Challengers” (2024)では上位にいる女性プレイヤーとその下位の男子2名の性的なところも含めた丁々発止のやりとりがバカっぽくエネルギッシュに描かれていたが、男性と女性の位置関係が逆転すると、こうまでテーマや明度が変わってしまうものなのか。

監督は12歳の体操選手だった少女が怪我をしても周囲に言わずに我慢して無理しているのを見てこのドラマを思いついたそうだが、スポーツの場合、何故か子供たちを「大人」のように扱って(尊重して?)彼/彼女の「自主性」に任せたりする – そうすることで何か起こった場合でも責任回避できるし、うまく行ったら彼/彼女は更に成長するかもしれないし。でもやはり、彼/彼女は子供なのだから、適正に監督されてケアされなければならないし、子供たちには言いたいことをきちんと伝えられる環境が用意されるべきなのだ、と。それをずっと体育会系のカルチャーに染まってのし上がってきた協会にいる大人たちが用意できるのか? はあるけど。

この作品を集ってくるメディアに対して明確に”NO”を突きつけたNaomi Osakaがプロデュースしている、というのはとても納得がいく。

日本でも見られてほしいと思うけど、Julieの沈黙を「えらい」って勘違いするバカが大量に湧いてきそうでとてもこわい。

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