5.11.2025

[theatre] Richard II

4月29日、火曜日の晩、Bridge Theatreで見ました。

Bridge Theatreは久々で、ここでは過去Maggie Smithの一人芝居やLaura Linneyのこれも一人芝居の”My Name Is Lucy Barton”などを見ていて、今回のは一人芝居ではないがJonathan Baileyがメインでフィーチャーされている。

原作はShakespeare、演出はNicholas Hytner。プログラムにも原作の文庫にもファミリーツリーが載っていて、これがあるといつもビビるのだが、今回はだいじょうぶ(なにが?)だった。後で振り返るのによいの。

舞台はシンプルかつダークな黒で統一され、真ん中に執務机とかベッドやシャンデリアが上から下からすーっと出てくる程度。客席を四方で囲み、裁判や演説の際は、客席やバルコニーも使う。Richard II (Jonathan Bailey)も周囲の部下たちもぱりっとした現代のスーツを着て出社(?)すると秘書から社員証のように王冠を受けとる。

王Richard IIを中心とした一族のドラマ、そのなかでも権力抗争にフォーカスして、だからQueen Isabel (Olivia Popica) の影は薄めで、硬軟いろいろのじじいたち、忠犬みたいに同じ顔した同じ動作の幹部っぽい男たち、それらに憧れていきりたい若者たちが右から左から現れては消えていく、男たちのお話し。原作を読んでいなくてもどんな話なのかはわかる - そういう話に集約してよいのかどうかは別として。

男の威厳とか人を操って言うことを聞かせる王のパワーとかオーラ - それ相当のなにかはどこでどうやって手に入れて広がってコトを起こし、それらはどうやって他の権力者 or 継承者に移って次の代にトランスフォームされていくのか。それを情緒と無常感たっぷりに”Why~??”って泣いて騒いで訴えるのではなく、権力とは、その抗争とは、その遷移とはこういうものなのだ、とドライに描いていく。弦を中心とした音楽だけは映画音楽のようにドラマチックに響いてくるが。

それでも叔父のJohn of Gaunt (Nick Sampson)の死後、Richard IIがその遺産をかっさらったり、コカインを決めながらアイルランド侵攻を決めたりしていると周囲から不満の芽が出てきてらそこに政敵、というかRichard IIの反対側に立って追放されていたHenry Bullingbrook (Jordan Kouamé - 元のRoyce Pierre sonからこの晩だけなのか替わっていた)がどこかからやってきて、彼はRichardとは反対に寡黙でなに考えているのかわからないしふてぶてしいし、スーツの他にパーカーのようなラフな格好もして、騒がしい決闘も政変もないまま気がつけば王位を奪って、側近も替わっている(ように見える)。

それでもRichardは余裕でHenryを憐れんであげたりもするのだが、周囲には響いていかない。自分の頭で叩き割ってしまった鏡は元には戻らず元の像を写すこともなく、上が替わったらすべてが入れ替わり元に戻ることはない、時間と実績とか達成の度合いとそれに纏わる合意と総意がすべてで、交替後は死体袋に入れられて滑らかな床面を滑っていくだけ、と。どこまでもドライで、でも取り巻きも含めてそういう風にしたのも彼なのだ、と。

Jonathan Baileyのそんなに大きくない身体は、とてもよく響く声(怒鳴っても痛くない)と合わさって、そのしなやかな動きは自身のエゴとパブリック・イメージを見事に統御しているかのようで、やはりかっこよいと思った。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。