8.03.2024

[film] Chuck Chuck Baby (2023)

7月21日、日曜日の午前、Westfieldのショッピングモールにあるシネコンで見ました。

なぜかセントラルロンドンではやっておらず、西の方まで遠出した。ここ、駐在日本人には人気のエリアらしいのだが、これまで足を踏み入れたことはなかった(でっかいスーパーマーケットとフードコートはいっぱいあるけど、それがどうした)。日曜の朝だと客は3人くらいしかいない。

作・監督はこれが長編デビューとなるJanis Pugh。ミュージカル・ラブコメ - フルにがんがん歌って踊って世界をアゲル、というより、ラジオでかかったりプレイヤーにのせたレコードとか頭のなかで再生される音楽 - Neil Diamond, Janis Ian, Minnie Ripertonなど - が主人公に火をつけたり目を開かせたり歌の、夢の世界へと誘って、これでいいのだ、と強くいう。現実逃避ばんざい。

北ウェールズの小さな町の鶏肉工場 - Chuck Chuck Baby (ロゴかわいい)の生産ラインで生丸鷄を袋詰めする仕事をしているHelen (Louise Brealey)はクズみたいなex-夫(Celyn Jones)と、彼が家に連れてきた20歳のGFとその赤ん坊と、末期ガンを患う義母のGwen (Sorcha Cusack)と暮らしていて、他に行くところもなくてGwenの世話をして彼女と話をすることくらいしか楽しく癒されることがない。職場の仲間たちは一緒にいて楽しいけど家に帰れば、の繰り返しでなにもかもどん詰まって死んだ目をしている。

そんなある日、町に - 隣の家に、かつての同窓生で町を飛び出していったきりだった伝説のJoanne (Annabel Scholey)が帰ってくる。Helenにとって彼女は憧れの存在で、実はJoanneにとってのHelenもそうだったのだが、再会の後のいろんな自問自答や振り返りや戸惑いがあり、互いの、ふたりの過去を巡りながらのJoanneとの浅かったり深かったり振り返ったりの対話もあり、でもそうやって想いを踏みしめて確かめれば確かめるほど、いまの自分の置かれた状態やその縛りとか溝とかどうしようもないあれこれが見えて溢れてきて、そうやっているうちにGwenが亡くなってしまう。

ストーリーとしてはこてこての、周囲近隣の偏見やあらゆるしがらみや今のこんなにしょうもない自分じゃ… をどうにか乗り越えて最後はここに落ちるしかないだろう、というところに落ちるだけなのだが、HelenやJoanneの歌をずっと聴いたりダンスする姿 - そんなにかっこよくない - を目で追っていくうちにHelenの声、彼女の惑いや苛立ちが自分のそれに重なって大きくなって離れられなくなっていく。そう、ほんとになんでこんなに嫌な奴らばっかし目に入ってくるのだろう、とか。

歌は彼女たちを結んだり繋いだりするような「みんなの歌」としての機能をあまり担ってはおらず、自分を今のありようからひっぺがしてひとりの状態に、それを口ずさんでいるのは自分だ… わかっているよね? という目覚めの地点に導いていくようで、その歌が伝播していくすべての登場人物の間にもなにかを引き起こし、まったくそういう事態でないしそれどころでもないのにほらね! って言いたくなる瞬間が重ねられていく。まるでばらばらのピースを紡いでひとつのバンドができあがっていくかのように。

とてもよい終わり方だと思うのだが、偏見まみれのHelenのくそ旦那とか近隣住民とか、最後に痛い目にあわせてやればよかったのに、って少しだけ。

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