8.08.2024

[film] Kuru Otlar Üstüne (2023)

7月27日、土曜日の午後、BFI Southbankで見ました。 英語題は”About Dry Grasses”。

監督は『昔々、アナトリアで』 (2011)、『雪の轍』 (2014) のトルコのNuri Bilge Ceylan。 3時間17分 – 緊張が解けないのであっという間。

舞台はほぼ雪に覆われた原野のアナトリアの東のなにもないところで、そこに赴任している中年の教師Samet (Deniz Celiloglu)が休暇を終えて雪の原野を延々歩いて戻ってくる。

お気に入りの女生徒Sevim (Ece Bagci) - 14歳 - にお土産を渡して、一緒の下宿に暮らす同僚のKenan (Musab Ekici)と喋って、これだけだとごく普通の教師で、教室での生徒に対する接し方も特に乱暴だったり、変なところとかもない。

ある日突然生徒の荷物検査があり、Sevimの荷物から手紙が抜きとられたことを見たSametは、後でその手紙を手に入れて、それが自分宛のものであることを知るのだが、それを感知したSevimは彼のところにやって来て手紙を返してほしい、と懇願する。けど、それを拒否した彼はKenanと共に理不尽な虐待があったと通報されてしまう - 生徒の誰が通報したのか、学校は当然教えてくれないのだが、Sametは彼女に違いないと思って、他の生徒に対する態度も粗暴になっていく。

この件とは別に、SametとKenanは隣村の女教師Nuray (Merve Dizdar)と出会う。彼女はテロで片足の膝下を失っていて義足で、でも淡々とした正義感の強さから「左だね」って揶揄されるくらいで、徐々にKenanと仲良くなっていくようだったのだが、それを横目でみていたSametは3人で会おうと予定していた日にKenanが来れなくなった、と嘘をついて彼女とふたりで会って、割と強引に彼女の部屋までついていって、ひと晩を過ごしてしまう。

次に3人で会った時、Sametはわざと彼とNurayがひと晩一緒に過ごしたことをKenanにわからせ、空気を微妙に濁らせてふたりの破局を狙うのだが..

SevimとSametの件も、NurayとSametの件も、男女ふたりが正面から向き合いにらみ合うシーンがあり、女性の方は、「あなたが何を考えているか知っている」と言葉に出さずに言い、Sametは、「上等、言えるもんなら言ってみろ」と不動の表情で返す。 そして、女性がそれを言葉にした途端になにが起こるのか、女性にはわかっている(ので言えない)。

Sevimとの間で起こったことも、Nurayのも、彼女たちの涙を浮かべた、怒りに満ちた目線は男のSametからすれば取るに足らない、「なめんな」程度のものであることは彼の不遜かつ揺るがない表情から窺えるのだが、それが閉塞的で未来のない村の空気、更には彼が軽く批判する政府の政治姿勢とも連続したものであることが見えてきて、そこにふたつしかないというこの地方の季節、雪に覆われた冬と、少しだけ緑がでてすぐに乾いた草に覆われる地面の夏に重ねられてしまうと、ものすごくどんより、うんざりする。女性からしたらあんなのばかりが目の前に立ち塞がって巡っていくのだとしたら、なにもかも嫌になって出ていくしかなくなるだろう。

SametやNurayが村人の日常をカメラで撮って、そのほのぼのとしたスチールが映しだされたり、ある場面では撮影現場までカメラが移動していったり、フィクションぽい舞台設定が露わにされるのだが、そんなことをしたからどうなるというものでもない。枯草はそれ以上に伸びていって森を作ることはない、そういう土地なのだ、と。

外の人から見れば過酷な、閉じた土地でなんとかそれなりにがんばって生きる人々の像、になるのだろうが、その内側ではこれだけの嫌な体液のようなものが流れているのだ – だから人と関わりたくなくなる – だから田舎はいやだ – というわからない人(くそじじいと呼ばれる)には一生ぜったいにわからない構造の地獄。 日本もまったく同じだし、無意識の同調を強いる勢力は無用に無意識にでっかく、至るところに罠のように置かれているねえ、って改めて。

真ん中の3人の俳優がそれぞれにすばらしくよかった。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。