8.23.2024

[theatre] Slave Play

8月13日、火曜日の晩、Noël Coward theatreで見ました。原作はJeremy O Harris、演出はRobert O’Hara。休憩なしで3幕、約2時間。

2018年、NYのオフ・ブロードウェイ公演から翌年にブロードウェイに行って、トニー賞12部門にノミネートされたのがWest Endに来た、と。入場待ちの列に並んでいるときに撮影禁止だから、ということで”Starbucks!”と印刷された丸いシールをスマホのカメラレンズに貼られる。

舞台の背後はきらきらのミラー張りで、いくつかの扉にもなっていて、それが奥の方に開いて向こうから登場人物たちが現れる。ミラー張りの上には、これもきらきらで”NUH BODY TOUCH ME YOU NUH RIGHTEOUS”と掲げてある。あと、Rihannaの曲 - “Work”がいくつかの場面で象徴的な使われかたをしている。

第一幕は、前世紀のヴァージニアのプランテーションで異人種、かつ異なる階級を跨いだ3組のカップルが描かれる。性格の歪んだ白人の主人Jim (Kit Harington) となんでも言われるがままされるがままの黒人娘のKaneisha(Olivia Washington)、白人の傲慢ちきな娘Alana (Annie McNamara)とマッチョで彼女の言いなりになるPhillip (Aaron Heffernan) 、黒人のGary (Fisayo Akinade)と白人のDustin (James Cusati-Moyer)のゲイカップルと。彼らはどれも自分たちの関係の間に差別/被差別、偏見に見下し、当時の規範上で明らかに許されない何かが挟まっていることを十分に理解しており、その上で愛欲に溺れ、それを「プレイ」として楽しんでいるかのようにも見える。

”Starbucks!”という合言葉? - と共に第二幕の舞台は現代になって、Teá (Chalia La Tour)とPatricia (Irene Sofia Lucio)の若い女性2人組が主宰するセラピー・ワークショップの場となり - というか、第一幕の芝居は第二幕で展開していくワークショップで参加者によって実施されたロール・プレイだった、と。 前幕に登場した3組はかつての関係を持ち越すような形で登場し、ただ現代であるから、明確に差別なんてあってはならないことであり、自分たちの関係はそういうのを乗り越え、周囲の目も跳ねのける勢いで成り立っていることに意識的であり、でも恋愛関係はそれだけではないところから来ていたりもするのでより面倒くさく、そういうのも含めてみんな疲れているように見える。幸せだったらこんなとこには来ないだろうし。そしてそんなダークサイドに踏み入ってはいかん、とセラピーの場を懸命にドライブしていくTeáとPatriciaのコミカルなやりとりがおかしい。それは彼らのようなカップルを前に、”correct”に振る舞おうとすればするほど、ドツボにはまって硬直していく我々自身のようでもある。

第3幕は、前幕で夫のJimがひたすら斜に構えてしらーっとしていたJimとKaneishaのふたりが再び登場し、双方に溜まっていた何かをぶちまけるかのような、開き直ったセックスシーンを叩きつけて終わる。

決して許されてはならない人種差別や白人至上主義の下で今だに悲惨な事件が起こり、そのチェインリアクションが社会の至るところで連なるのが常態化しているなか、この劇で描かれたような関係のありようを「プレイ」として、ややおもしろおかしい「ネタ」のような形で提示してしまうことについては賛否あると思う反面、この劇が露わにしたような内面化された性や階層に対する意識が親密なシーンや場でどんなふうにそれぞれの目の前に現れてくるのか、ステージの奥に貼られたミラーを通して(実際に観客が映っている)ひとりひとり見るがよいのだ、と。

あーそうかー、となる場面があれこれ押し寄せてきて、おもしろかった。


今朝の6:30にシンガポールから戻ってきて、夕方の6:30にドイツに向かう。こんどは舞台を見に。

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