8.03.2024

[film] Crossing (2024)

7月22日、月曜日の晩、BFI Southbankで見ました。
監督はジョージア系スウェーデン人のLevan Akin - 彼の”And Then We Danced” (2019)が好きだったので。

今年のベルリンでプレミア上映され、LGBTQをテーマとしたフィルムに与えられるTeddy Awardを受賞している。あと、今年のBFI Flareでもかかっていた。配給はMUBIなのでそのうち配信で見れるようになるかも。

引退した歴史教師のLia (Mzia Arabuli)が地の果てのような村に現れて、かつて教え子だった男のドアを叩いて、この近辺に暮らしていた姪のTeklaの消息を訪ねる。

その教え子は知らない、と返すのだが、その弟で見るからに頼りなさげでお調子者のAchi (Lucas Kankava)が、自分は知ってる、と彼女が残していったというイスタンブールの住所をLiaに見せて、自分を一緒にイスタンブールに連れていってくれればガイドでも通訳でもなんでもするから、と頼んで、Liaはよいとも否とも返さないのだがAchiはひょこひょこ付いてきて一緒の船に乗る。

行方不明のLiaの姪はトランスジェンダーで、家族やコミュニティから弾きだされるようにして飛びだしていったのだが、彼女の母が死の床にあるので、Liaは必ずTeklaを見つけだして連れて帰るから、と妹に約束して出てきた。

のだが、イスタンブールの果てのなさそうな雑踏で、この地でもトランスに対する蔑み偏見はあるので、名前を変えているかもしれないひとりのトランス女性を捜しだすのは容易ではなく、後の方ででっちあげだったことがわかるAchiが示した住所 - 売春宿のようなところだった - に行っても彼女を知っている人はおらず、Achiがいるとはいえ十分に言葉の通じない場所で宿泊から何から手配して人探しをしていくのはしんどい。そのしんどさの奥深くに消えてしまったであろうTeklaを探しながら彼女と同じ立場のトランスの人たちと会って話して、Teklaが失踪した理由、消えてしまいたくなった経緯もじんわりと自分のものになっていくかのような流れ。イスタンブールは存在を消したくなった人たちがやってくる場所なのだ、と。

Lia役のMzia Arabuliの、硬く強い意思をうかがわせる表情 - Pedro Costaの映画に出てくるVenturaと同様の壊れない化石感 - がすばらしい。最後まで殆ど笑みを見せない彼女が、バーでダンスを求められ、村一番のダンサーだったのだ、とメイクをしてきりっと力強く踊るシーンがとてもよいの。そんな彼女に軽くてなにも考えていないふうのAchiが絡み、猫と同じようにどこにでも出没して歌って小銭を稼ぐ小さな浮浪児の兄妹とか、後半に入って彼女たちを助けることになるLGBTQ+の支援センターでボランティアをしているセックスワーカーの大らかなDeniz Dumanliが加わって旅先での出会いと失望~辛さを分厚く生々しいものにしている。最後に少しだけ見えてくる赦し - それはTeklaに対するものだけではなくてLia自身もまた… 一緒にいてあげられなくてごめんね、と。

お話としては暗く重いのだが、映画を見た後には軽く、でも力強くCrossingしていく感覚が残る。

存在を消したくなった幽霊のような人たちが吹き溜まる街角 - 夜の町の描写もすごくよい - の、至るところに湧いてでる猫たち、やはりイスタンブールは一度は行かねば、になった。

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