8.04.2024

[film] Deadpool & Wolverine (2024)

7月26日、金曜日の晩、BFI IMAXで見ました。上映回によって2Dのと3Dのがあったのだが3Dのにした。

どうでもいいことだけど最初の頃に流れていた予告でHugh Jackmanは”Let’s Fxxxing Go!”って言っていたのに公開間近になってただの”Let’s Go!”に変えられていた。

今作は寂しがりのDeadpool (Ryan Reynolds)がなんとしてもWolverine (Hugh Jackman)と一緒に組んでやりたいよう、がまずあって、それを実現するためにフェイクや嘘八百を並べたてたやつなので、正義とか悪とかヒーローとかミュータントとかは遥か彼方のどーでもよいことで、”Doctor Strange”とか”Loki”のあたりから出始めたマルチバースでの時間泥棒みたいな話 - なんか苦手なので”Loki”も途中で見るのやめてしまった - を都合よく適用して、最初の方こそ”Logan” (2017)から律儀にWolverine の墓を掘り返したりしてみるものの、途中から面倒になったのかぜんぶDisneyによるCentury Foxの買収のせいにして、そっちに押しつけて押しこんでアクションがアクションしていればそれでいいのだ、って突っ走っている。うまくやれば今後のコミック界におけるメタフィクションのありようを考えさせるくらいのものになったかも知れないのに、なーんも考えていない/考えない。この商法ならいくらでも都合よく過去を含めて加工捏造していけるし、俳優が不祥事起こしてもどうにかできるのかしら。

今回の悪役はCharles Xavierの自称双子の妹だという - つるっぱげのCassandra Nova (Emma Corwin)で、マルチバースの掃き溜めのような砂漠地帯 - Voidを支配していてめちゃくちゃ強くて、ふたりはいがみ合いどつき合いながらも湧いてでた他のアメコミヒーローとかベロ犬とかと一緒に力を合わせて戦っていくの。

斬られても刺されても撃たれてもなにされても絶対に死なない彼らがかっこよく戦って悪いのをやっつけてくれればそれで元がとれた気になるシリーズなので別によいのだが、ほんとうにこれで、こんなんでいいの? を自問しているうちに最後までいってしまった。

他のバースにも何百人のDeadpoolとWolverineが湧いているなか、他のアメコミヒーローだのびっくりカメオだのがわんさか登場してくるなか、とにかくこのふたりじゃなきゃだめなんだ! ということをくどいくらいのおしゃべりと掛けあいで延々訴え続けるので最後の自己犠牲のとこも思ったとおりの展開になるし、予定調和とか都合悪そうなところはぜんぶ買収劇とライセンスのせいにしてしまえばよい。ふたりの見得とコレオグラフが決まる場面で決まってくれればそれでよいから、に徹している。

Hugh JackmanもRyan Reynoldsも嫌いではないし、彼らのキャラクター - こういうことをしても許される彼らではある - が活きて思いっきり動いて暴れてくれればよいのでそれなりに楽しめたけど、あーんまりにも中身がなさすぎたような。

でも、黄色のWolverineがマスクをしたところで館内では静かなどよめきが起こり、斜め前にいたおじさんはひっそり拍手しながら涙ぐんでいて、こういうのはよいかも、って少しだけ思った。コミックは読まずに映画だけずっと追ってきたけど、エンドロールのとこはちょっとだけじーんとした。ほんとに長いこと、延々バカみたいに戦ってきたのだなー、って。あのエンディングのだけ1時間くらいやればいいのに。

あと、予告でも流れていたMadonnaの”Like A Prayer”、この曲がリリースから35年を経てあんなにかっこよく鳴るなんて誰が想像しただろうかー。

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