12.19.2025

[theatre] A Midsummer Night's Dream

12月11日、木曜日の晩、Shakespeare’s GlobeにあるSam Wanamaker Playhouseで見ました。

この劇って、夏に野外とかでみんなでわーわー酔っぱらったりしながら見る(そして演じる側もそういう)お祭りのイメージがあったので、真冬に、しかも木造の蝋燭照明しかないような暗く閉じた空間で、なにをどんなふうに見せるのだろうか、と。

原作はShakespeareの『夏の夜の夢』 (1595–1596)、演出はHolly Race RoughanとNaeem Hayatの共同。

舞台の上のテラスには楽団が4名、きりきりした弦とどたばたした太鼓が中心の現代音楽風。
舞台とテラスの間にはぶっとい角ゴシックで“PERCHANCE TO DREAM”って看板標語のように貼ってある。季節は冬らしく舞台の上は白で統一されたインテリア。途中、テラスのところにでっかい雪だるまが現れたり(でもなにもしないでそこにいるだけ)。

最初に上は半裸のタキシード、下は純白のチュチュに白タイツの坊主頭Puck (Sergo Vares)がひとり出てきて、不敵な表情で客席を猿のように見まわしながら、バナナを一本、ゆっくり食べる。(関係ないけど数日前に見た”Twelfth Night”でも観客の方を向いてバナナを食べるシーンがあった。流行り?)

この冒頭だけでも、これが楽しい妖精たちの夏の夜の戯れではなく、ひと続きのゴスでダークな悪夢に近いもの - OberonもPuckもその産物でしかないことがわかって、以降は屋外の森ではなくどこかの屋敷(or宮殿 or精神病院かも)の蝋燭に照らされた冷たそうなディナーテーブルを中心に、いろんなのにまみれて腐った富裕層がいて、原作の職人たちは、彼らに料理を供するレストランのスタッフ – ころころのBottom (Danny Kirrane)はそこのヘッドシェフになってて、Oberon (Michael Marcus)とPuckの主従関係ときたらほぼSMの世界だし、媚薬なんて用意しなくても、全体は既に十分に浮ついて酔っ払い、さらにドラッグをきめていたりするのでしょうもない。

なので、この劇でセンターに来るはずのDemetrius (Lou Jackson)とHelena (Tara Tijani)の恋、Lysander (David Olaniregun) and Hermia (Tiwa Lade)の恋、それぞれのじたばたも妖精と媚薬の悪戯、というかわいらしいものというより、初めからずっとあって果てのない悪夢や淫夢の延長でしかないようで、でもそれでも十分生々しく官能的なので、やっぱりこれは夏の野外じゃなくて冬の屋内だよね、とか。恋というより夢のありようを描くドラマとして、その緊張感はなかなか見事で、昨年の冬(これも冬だった)Barbicanで見たRSCによる同劇 – これも現代設定で、Bottom (Mathew Baynton)は可愛かったけど、あれともやはり違うねえ、と。舞台の上で演出され供される夢のなかにどれだけ没入して抜けられない時間を過ごせるか、で評価するのであれば、ここに出てくる夢と闇の深さはなかなかのものではないか、と思った。

一番びっくりしたのは最後が突然の流血の惨劇で終わることで、そんなことしていいんだー、と思いつつ、ここもまたそんなに違和感はないのだった。こういう夢の出口には死とか、そういうのしかない、という説得力の強さ。

原作の舞台はアテネだけど、これを見て思ったのはまずRainer Werner Fassbinderの室内劇の四角四面の閉塞感と理不尽に情が荒れ狂うあの空間で、あと、とりかえ子の少女(Pria Kalsi)がきょとんとした顔で「一幕目のおわり」って静かに客席に告げたりするのを見て、これPina Bauschの世界ではないか、って思った。ところどころで踊るシーンもあるし、終わりを告げないといつまでも終わらない止まらないとか。

しかしそれにしても、シェイクスピアの沼が… 底なしすぎる。
もっと子供の頃から知っておきたかったよう。って嘆いてもしょうがないので見ていくしかない。

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