12.24.2025

[theatre] The Forsyte Saga Parts 1 & 2

12月13日の土曜日、Stratford-upon-AvonのRoyal Shakespeare Theatre内のSwan Theatre(小さい方)で見ました。 

マチネで”Part 1: Irene”を、晩に”Part 2: Fleur”を。晩のが終わったらロンドンに向かう電車はないので、シアターの近くに宿をとった。こういうのは2017年にChichesterでIan McKellenのリア王を見た時にもやっていて、あの時は駅前£30くらいのところでひどい思いをしたので、今回は£70くらいのにしてみた(けどやっぱり…)。

原作は英国のノーベル賞作家John Galsworthyが1906年から1921年にかけて書いた3つの小説、2つの幕間作品からなる(その後に書かれたものを含むThe Forsyte Chroniclesまでいくと全9巻)、イギリスの新興成金一族の40年に渡る興隆を描いた大河ドラマで、映画もTVシリーズもいくつか作られていて – “Downton Abbey”みたいなもん? - この劇作は2024年にロンドンのPark Theatreでプレミアされたもの。原作は読んでいなくて、この2部が全体のスケールのなかでどんな位置とか重みとかを持つものなのか不明だったのだが、ふつうに楽しむことができた。あと、プログラムには一族の家系図も載っていて、時代を超えて結構いろんな人が出てくるのだが、頭に入れておかなくてもどうにかなった。

脚色はShaun MckennaとLin Coghlan、演出はJosh Roche。

舞台は赤いカーペットとベルベットの赤いカーテン、椅子がいくつか、のシンプルな室内で、それを囲む客席の間の通路からいろんな登場人物たちが出入りしていく。地味めのインテリアと比べるとコスチュームは華やかで貴族のドラマとして見ていて飽きない(のってなんでだろう、っていつも思うけど)。あとはサウンド・デザインが見事で空間に奥行きが。

Part1はヴィクトリア朝時代で、一家の若頭のSoames Forsyte (Joseph Millson)が妻にしたかわいそうなIrene (Fiona Hampton)のお話し、第二部で主人公となるSoamesの娘Fleur (Flora Spencer-Longhurst)が舞台の隅に立っていてところどころ解説してくれたりする。

元は農民からの成りあがりの一族なので金とか資本のことで頭は常にいっぱいで、Forsyte家の最初の3人のひとり - Jamesの息子Soamesは絵画収集と同じモノとして妻Ireneを手にして、でもIreneは子供(跡取り)をつくることしか頭にないSoamesにうんざりしていて、アートなどに関心のある別のForsyte – Jolyonの孫娘の婚約者で建築家のBosinney (Andy Rush) と意気投合して、ふたりで駆け落ちしようとするのだが、その当日にBosinneyは事故で亡くなって、Ireneはそのまま姿を消す。ヨーロッパに逃れたIreneを救ったのもForsyte家のJo(Nigel Hastings) で、やがてJoとの間にJonが生まれ、Ireneに逃げられたSoamesはフランス系のレストランで給仕をしていたAnnette(Florence Roberts)と結婚してFleurが生まれる。

Part1の中心はIreneに対して結婚したのだからお前は俺のものだ!勝手なことはさせない言うことを聞くのだ!って縛りまくって話の通じない、それのどこがいけないのかもわかっていない(既にどこかで十分いっぱい見ている)Soamesのどす黒いしょうもなさ、だろうか。

Part1の終わりに舞台はRoaring Twentiesの1920年に飛んで、ギャラリーでFleurとJon (Andy Rush)がばったりして、Part2はその地点から始まる。

FleurもJonもぼくら苗字がおなじForsyteだね、ってなり、やがてふたりは従兄妹同士であることがわかるのだが、なんで、なにが隠されて互いを知らないまま会ってはいけないと言われるのか納得いかなくていろいろ一緒に調べていくうちに、隠されていた一家の過去と秘密が明らかになり、他の家族からの反対の声も大きくなって、でも周囲がやかましくなればなるほどFleurはJonへの恋に燃えて一緒になろうとするのだが、何かが彼らを引き離し、Jonはアメリカに渡って現地で結婚し、Fleurも大戦から還ってきたMichael (Jamie Wilkes)と結婚することになる。

そこから6年が過ぎてFleurはゼネストの活動中にアメリカから妻のAnn (Florence Roberts) と一緒に戻ってきたJonと再会して、再び燃えあがる寸前まで行くのだが… (実際に燃えあがって焼け落ちたのは思い出の家の方だった)

Part1はその傲慢さで実際に支配している男性の側から、愛=縛り、というのが殆ど犯罪のような抑圧的に働くものとして、それを正面から受けた女性の側の絶望と共に描かれるのに対して、Part2はどれだけ縛られていようが愛する自由はあるし、寧ろ愛はその縛りを解くものとしてあったってよいのだ、というのが女性の側から示されているような。

Part1であれだけ強くあくどく振る舞っていたSoamesがPart2ではよぼよぼになって、最期はあんな… というのはよかった。

劇中で流れていく時間が結構早いので、次から次へと登場人物が出たり入ったりちょっと慌しく、展開の早いメロドラマを見ているようだったが、そのスピードとテンポがこの家族の儚い盛衰 – 今だからいえる – をわかりやすく的確に表現していたような。雰囲気は重厚で人物もみんなおしゃれでかっこよく、喋っては消えていくのだが、後にはあまり残らない - そういうとこも含めてTVシリーズ向けなのかしら。

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