2025年も最後のいちにちとなってしまった。天気はここんとこ、ずっとよい。
昨日の夕方にフィレンツェから戻ってきてまだ足が痛い。
今日は起きてクリーニングに行って日々のお買い物をして、Whole Foodsに行ってHarrodsで〆さばとチーズを買って、一旦戻ってからNoël Coward Theatreでマチネの”The Importance of Being Earnest”を見て、Hatchardsで本を見て(買わず)、映画の〆で”Marty Supreme” (2025)を見て、年越しそばはこないだ戴いたどん兵衛。
昨年のこの日にもぼやいていたようだが、今年はあれを上回る最悪の、ほんとうにひどい一年であった。 なんの濁りも偽りもなくそう思うし、よく最後のお尻の日まで過ごして「最悪」とか平気な顔して書いてられるものだしその状態でへらへら新年迎えて改めて同じぶつぶつを繰り返して行くんだろこの恥知らずが! って今から言っておく。
年の終わりは反省するのではなく気分をあげて新年を迎えたほうが、という意見もあるようだが、だめなもんはだめなのだから落として放置して腐らせてザマをみなさい、ってやるくらいでよいのだと思う。どうせ世間はみんな浮かれていることだし。そう、だから、そんななかでお片付けなんてなんのいみもないんだよ(結局そこか)。
今年は生まれて初めて入院して手術というものをして、自分の体にとってよくない(ことになりそうな?)箇所を切って棄てたので、健康、健全な状態が維持されてよかったではないか(術後のチェックアップ行ってないけど)なのだが、改めて「健康」ってなんなのよ問題が浮上してきて、それって思春期にある「普通」ってなんなんだよ!問題の老人版なのかもしれない。 よそ様が見たら犬がばうばう吠えているだけのしょうもない…
自分の体はどうでもよいとして、世の中はほんとうにどうなってしまうのだろう?の連続で、その度にまだ最悪はこの後に、とか第二次ブッシュの時だって、とかとにかく持ちこたえよう、などと踏ん張って平静を保ったり映画や演劇に逃げてやり過ごすのだが、あの連中のせいで亡くなった人々が戻ってくることはない。人殺しのろくでなし共がただの人気取りの果てに権力の頂点に居座っていてどうすることもできない。
連中は倫理的、人道的な正しさをベースに政治や政策を進めている訳ではなくて、自分の「仲間」(的な集団なり組織なり)を満足させ、彼らの欲求を満たし、餌を与えてそれを維持することで自身の基盤を維持しているだけ - 要は内輪ウケと内と外の線引きに終始していて、これの何が嫌で気持ち悪いかってなにもかもが学校なり会社なりで見られる集団枠の延長のようなノリで動いていくところだ。ただのヤンキー。排除から始まったりそれ前提で成り立たせる政治なんて100年前に終わらせたはずではなかったのか。
いまのイギリスもヨーロッパも足下は問題だらけではあるが、少なくとも、歴史から学んで誤った過去に戻してはいけない、という点においては強くて安心できる(安全とは違うけど)ところがあるが、日本とアメリカはどうなっちゃうんだろうか。国籍抜けられるなら神さまお願い、ってことあるごとにお祈りしている。
でもそんなことよりもなによりも、ガザとウクライナと理不尽な差別偏見で苦しんでいる人達が少しでも、ひとりでも減ってよくなりますように。
年が明けたら年間ベストを拾っていきます。
明けた人も明けてない人も、よいお年をー。
12.31.2025
[log] 年の終わりに
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