12.10.2025

[theatre] The Maid

11月29日、土曜日のマチネを、Donmar Warehouseで見ました。公演の最後の回で、見逃すところだった。

原作はJean Genetの”Les Bonnes” (1947) - 『女中たち』。脚色・演出はSarah Snook による一人芝居“The Picture of Dorian Gray”を成功させたKip Williams。 1時間40分、休憩なし。

舞台は明るくて3つの背面がでっかいミラー(後でディスプレイ)になってて、スライドされるその向こうはなんでも出てくるクローゼットで、白系のきらきらで統一されたバブリー(死語)で豪勢なリビングルームがあって、開演前~開演後もしばらくはガーゼ仕様の薄幕カーテンで覆われていて(その向こうでなにが行われているかはわかる)、あげあげ系のR&B&ハウス系の音楽がそんなに大音量ではなく流れていて、そこにメイドの恰好をしたメイドと思われる女性が現れて音楽に合わせてふんふんしたり踊ったりしながらスマホを見たり化粧台のコスメを試したり、そこらにある服を試着したりを始める。

この最初に現れたメイドがClaire (Lydia Wilson)で、そこにSolange (Phia Saban)が入ってきてご主人様としてClaireを虐めたり辱めたりして、でもそのうちSolangeも同じメイドであることが明らかになって、ふたりは姉妹で、要は支配と服従の「ごっこ」をおもしろがってやっているのだが、そのうちに本物のMadame (Yerin Ha)お嬢さまのインフルエンサーでもある - が入ってくると、彼女の我儘で傲慢な振る舞いは「ごっこ」のレベルではない、エクストリームなものであることが見えてくる。なにがエクストリームかというと、仕事や契約上の規約なんてないに等しく、自分は上でお前は下なんだからとにかく従え文句や口出し一切無用とっととやれ、が徹底されていて、誰もその掟を破ることができない、その手段がない、ということ。

登場する3人の女性たちは、全員がずっとスマホを手にしてSNSにポストしたりライブストリーミングしたり、その画像も声もエフェクトをかけてアニメ風にしたり老婆にしたり、リモートも含めてやりたい放題でそれがそのまま背後の大きなミラーに映しだされていく。メイドとしてクソのような仕事をしていても、どんな酷いことを強いられても、ストリーミングでは主人のドレスを羽織ってお花畑の女王のような姿を演出することができて、そこで身分の上下なんて気にしている人は誰もいなくて、要は本当の正体はなんなのか、本当に起こっていることはなんなのか、を誰も知ることができない/知らなくたって構わない、という反転した地獄絵がある。この支配・服従構造の不可視化(による重層の支配)は、もろ現代のテーマでもある。

この状態をどうにかしたいClaireとSolangeのMadameのお茶に毒を盛って飲ませる計画もなかなかうまくいかないまま、Madameの暴走は誰も止められなくなっていって… 

誰かに支配されている、という言い方は(ちょっと恥ずかしいので)したくないが、自分の時間や労力を常に誰かや誰かや誰かに奪われている、という終わらない感覚はあって、それを終わらせるには特定の誰かやチェーンをどうにかすれば済む、という話でもなく、ではどうしたら? ということについて「自由」とか「解放」とかの言葉を言わず使わずに考えさせる – かなりごちゃごちゃ騒々しくて疲れるけど – よい舞台だと思った。女優3人共自身の演技に加えてエモの延伸のようにデバイスとか自在にコントロールしていてすごい。

原作者のジュネが作品のなかで表現しようとした服従や拘束のありようとは違うのかも知れないが、誰もが止むことのない憎悪と蔑視に囚われて中毒のようになっていて、そこから抜けられないまま団子になって転がっていって、でも結果としてどこにも行けないどん詰まり状態、はうまく表現されていたのではないか。

全体をあと少しだけ落ち着かせてみたら、日本の会社の風景にも近くなる気がした。

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