12.22.2025

[film] Mansfield Park (1999)

12月12日、金曜日の晩、BFI Southbankで見ました。

Jane Austenの生誕250年とフィルムのリリース25年を祝って、上映後に監督・脚色のPatricia Rozemaと主演のFrances O’Connorを招いたQ&Aつき。35mmフィルムでの上映、見ているだけでたまんなくなる - たまにそういうことってある - 色味のフィルムだった。

もう少しJaneの生誕250年でいろんなイベントとかあってもよいと思うのだが、BFIでは、これと1940年版の”Pride and Prejudice”- 脚本にAldous Huxleyが参加して主演はGreer GarsonとLaurence Olivier - の上映があったくらい(昼間で行けず)。

Jane Austenの3作目の小説で、刊行は1814年、彼女の生きていた時期にリリースされたなかで最も売れた作品だったそう。

Fanny Price (Hannah Taylor-Gordon → Frances O'Connor)は10歳の時に叔父Sir Thomas (Harold Pinter)とLady Bertram (Lindsay Duncan)と4人の子供たち - 息子ふたり、娘ふたりが暮らすMansfield Parkの屋敷に送られて、親戚なのに実家が貧しいからって屋根裏のような部屋で女中のように扱われて、でも本好きで話しが面白い - 妹Susanへの手紙の中で語られていく - のでそこの次男のEdmund (Jonny Lee Miller)と仲良くなっていくのだが、彼女が18歳になった時、Sir Thomasと長男のTom (James Purefoy)がアンティグアに長期の仕事で行っている間にやってきた近くの牧師の親戚Henry Crawford(Alessandro Nivola)とMary Crawford (Embeth Davidtz)の兄妹の華やかさと快活さにみんな圧倒されて、Edmundはなんだか大人のMaryにぽうっとなり、FannyはHenryに押しまくられて、特にHenryときたら情熱的に実家までやってくるのでどうしたものか、になる。

勿論これだけじゃなくて、そんなにおおごとではないお家内の騒動と変わった/困った/どうしましょうな人々を的確に散りばめ、そのなかで鼻をつまみ目をあわせないようにしながらどう強く楽しくやり過ごし生き抜くべきか、という退屈させないJane Austenワールドは健在で、そのなかでもどこでどうしてそうなったのか自信だけは常に満々で懲りずにどこにでも、ぜんぜん嬉しくないタイミングでやってきてくれるHenryとハエや毒虫を払うように逃げまくるFannyの困惑がどこに向かうのか、こちらも目を離せなくて楽しい。愚鈍だからプライドしか維持できなかったのか、プライドが愚鈍さを変に磨きあげてしまったのか、どうして男ってあそこまでしょうもなく無神経になれるのか、等をFannyの目を通してしみじみ考えさせられて、そのシャープな捌きようはかっこいい魚屋さんとしか言いようがないし、彼女(世界中のあらゆる彼女)の知恵と勇気には惚れ惚れしてしまう。

そしてこれだけのいろんな要素を道端の雑草から温室の観葉植物までぜんぶ盛って見事に(いろんな意味で)香ばしい花束とかブーケとかにして差しだしてくるJane Austenのちゃきちゃきしてかっこよいこと。

上映後のトークでは、監督から本作が、あのHarvey Weinsteinからの熱いオファーを受けて起動したことが明かされ、すごいな、Janeの描いた最低最悪醜悪世界のリアル版じゃん、て改めて思った。

もうひとつ、監督が作品に折り込みたかったのは人種差別に対する目線で、幼いJaneが屋敷に向かう途中、海上の奴隷船を目にするシーンから始まり、Sir ThomasのSrとJrがやっていたことへの言及など、彼女の視線がお屋敷内のあれこれに止まるものではなく、外の政治の世界をも貫いて形成されていったのだ、というのは強調したかった、と。

そして、人の魂は簡単に売買されるようなものであってたまるか、という地点から始まっているが故に、彼女の目と言葉、行動はどこまでもぶれずに物語を超えてこちらに迫ってくるのだと思った。

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