12.09.2025

[film] The Last Days of Dolwyn (1949)

12月2日、月曜日の晩、“Imitation of Life” (1934)のあと、BFI Southbankで見ました。

12月のここの特集で生誕100周年を祝う特集”Muse of Fire: Richard Burton”が始まって、いろいろ見始めている。彼のフィルモグラフィは膨大なので1ヶ月の特集でカヴァーしきれるものではないのだが、この特集でかかるセレクションは35mmフィルムで上映されるものも多くてなんかよいの。

作、監督はウェールズのEmlyn Williamsで、彼が監督したのはこれ1本(俳優としてのキャリアが殆ど)。35mmフィルムでの上映。

これがRichard Burtonが23歳の時の映画デビュー作で、上映前のイントロをした娘のKate Burton(この方も女優)によると、彼女の母Sybil Williamsは19歳で映画女優になりたくて監督のところに直談判に行って、そうしてこの映画で端役を貰って - どこに出ていたのか確認できず - Richard Burtonと出会って結婚して、自分が生まれた。なので監督のEmlyn Williamsは自分にとって祖父のような人でした、と。

19世紀の終わりに、ウェールズの山奥にあるDolwynの村がダム建設によって水没した – タイトル通り、そこに暮らす村人たちの最後の数日間を描いて、架空の村のフィクションだが当時いくつかあったこれに近い実話を基にしているそう。

土地を買収するために地元の人たちにうまい話 - リバプールの方に移住させて仕事も与えて - をしに小賢しい役人みたいなRob (Emlyn Williams - 監督本人)がやって来て、村人たちの多くは言いくるめられて引越しの準備を始めるが、先祖からのお墓もあるし離れたくないMerri (Edith Evans)のような女性もいて、彼女の里子のGareth (Richard Burton)は、一帯の土地の永代所有権を証明する文書を発見して、何がなんでも立ち退かせたいRobと対立していって…

Richard Burtonは村の外から村をダムの底に沈めに来た悪者と対峙する若者、という役柄で、ブチ切れたら怖いけど、貴族の女性にぼーっとなっていたり隙だらけで、でもこの映画で最もすばらしいのはMerriを演じたEdith Evansで、迷いながらも村に留まることを決意していくひとりの女性を見事な情感と哀しみのなか浮かびあがらせていた。


My Cousin Rachel (1952)

12月5日、金曜日の晩、Richard Burton特集で見ました。
ここでもKate Burtonさんがイントロで登場して、これが彼のハリウッドデビュー作で、アカデミー賞にノミネートされた最初の作品です、と。

原作はDaphne du Maurierの同名小説(1951)で、Rachel WeiszとSam Claflinが主演した2017年のリメイク作の方はまだ記憶に新しいかも。

監督はHenry Kosterで、彼になる前はGeorge Cukor監督で企画が進んでいて、原作者との芸術観の相違などで流れた、と。Cukorの企画ではGreta GarboかVivien LeighがRachelを演じる想定だったようで、あーそっちも見たかったなあ、って。

コーンウォールの海岸沿いでPhilip (Richard Burton)は従兄弟のAmbroseに育てられて、彼が健康上の理由で滞在していたフィレンツェから、現地で結婚した従妹のRachelのこと、彼女からひどい扱いを受けているというぐしゃぐしゃの字体の手紙を受けとって、不安になったPhilipが現地に行ってみるとAmbroseは脳腫瘍で亡くなっていて、でもRachelは不在だったので、彼はRachelがAmbroseを殺したに違いないと思いこむ。

数か月後にコーンウォールに戻ったPhilipはRachel (Olivia de Havilland)の訪問を受けて、思いっきり文句言って虐めてやろうと思っていたのに簡単に彼女の佇まいや物腰にやられてめろめろになって、一族代々の宝石をあげちゃったり、25歳の誕生日に全財産を彼女に譲ってしまう。彼女はいちいち喜んでくれたので、その流れで当然結婚してくれると思っていたのだが…

Burtonは手練れの悪女に簡単にやられてしまうバカで純朴な田舎の青年 - ↑のフィルムデビュー作でもそういう系だった – をフレッシュに演じていて微笑ましいのだが、それ以上にOlivia de Havilland(Burtonより9歳上)の放つオーラがとんでもなく、これならやられちゃうだろうな、ってあっさり納得できてしまうのだった。

運命に抗いながらも半分くらいは自業自得で勝手に潰れていく、そういう立ち居振る舞いをものすごく自然にやってのける、彼のシェイクスピア俳優としての素地はこんなふうに最初から運命のように定められ形づくられていったのだろうか、って。

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