12月6日、土曜日の晩、Wyndham's Theatreで見ました。
原作はArthur Millerのクラシック(1947)、演出はIvo van Hove、2時間15分で休憩なし(2時間超えで休憩なしって珍しい?)。
2019年の6月にOld VicでJeremy Herrin演出、Sally FieldとBill Pullman主演によるこの劇は見ていて、これもすばらしかったのだが、今度のはやはりぜんぜん違って、現代劇で、こうも違うふうにできるものかー、と。
冒頭、真っ暗になったと思ったらジジジとか電気系統のノイズととてつもない雷鳴と暴風雨と共に大きな木が突然めりめりと倒されて、その巨木の死骸が最後までステージにでかでかと、お墓のように横たわっている。正面奥の壁上部には丸くくり抜かれた大きな窓なのか穴なのかがあって、太陽や満月のように輝いたり、たまにこの窓から登場人物が孤独に舞台を見下ろしたりしている。
自分の知っているIvo van Hoveの技巧を凝らして劇空間をメタに浮かびあがらせ俯瞰の目線を絶えず動かして刷新していくような仕掛けは導入されていない。むしろ真ん中に横たわった木が断固そういうのを拒んで邪魔しているような。
裕福な実業家のJoe Keller (Bryan Cranston)がいて、飛行機のエンジン製造に関わっていた彼の会社は欠陥部品を供給して、それが原因となり21名のパイロットが命を落として、糾弾されたものの責任を直近の部下Steveに押しつけて自分は服役を免れている。
Joeの妻のKate (Marianne Jean-Baptiste)は戦時下で行方不明になったままの次男Larryの生存と帰還をずっと信じていて、でも他の家族はもう彼は… と思っていて、長男のChris (Paapa Essiedu)はLarryの婚約者で、Steveの娘のAnn (Hayley Squires)と結婚できないか、と考えている。Joe以外の家族周辺の人たちはみんな人生のことを真面目に考えて真っ直ぐに生きようとしている。Joeだって暴力を振るったりするわけではなく、近所の人たちからは話し好きのよいおじいさん、と見られている。
でもその裏側には複雑な事情が絡みあっている。ChrisとAnnの結婚はすばらしいことだが、それを祝福することはLarryの死を家族として認めることに繋がり、更には彼の死がJoeの戦時中の不正に結びついていることを認めることにも繋がって、それはいまの家族のよってたつ地面をがたがたにしかねない(→木が倒れたこと)。そして、家族の誰もがそのことをわかっている。元凶が誰なのか、なんで黙らざるを得ない、触れない箇所があったりするのか、なんでどんなにあがいてがんばっても幸せに届かないのか。
その緊張を維持して持ちこたえているところにある情報を掴んだらしいAnnの兄George (Tom Glynn-Carney)が怒りを湛えて飛びこんできて…
俳優のアンサンブルがすばらしくよくて、Bryan Cranstonは典型的な白人男性、妻役のMarianne Jean-BaptisteとChris役のPaapa Essieduは黒人で、戯曲の上に書かれてはいないが、ひとつの家族内での人種間の差異がもたらすであろう何か、もそれとなく示唆されていたのではないか。
誰もが気づいていて、今や誰もがうんざりしているアメリカの(家族、白人男性の)理想主義が孕む毒、欺瞞や危うさ、それが絶妙な形で集約されて”All My Sons”という呼び声のもとで上書き形成されてきた家族の像。 これをそれ見たことかみたいに暴きたてるのではなく、診療台の上でどうしたらよいと思う? って問いかけてくるのがArthur Millerの劇で、この内容が書かれてから80年くらい、ってさすがにすごいな – “All My Sons”から”All My Grandsons”までいっちゃってるだろうに。
そして、これらがあった後になってもなお、”MAGA”なんて能天気に言えてしまうあの神経の腐れようときたら。
そしてそして、ここで維持されようとした「アメリカの理想」は、日本では家長を中心に据えた同心円状の「イエ」としてやはり絶対的な求心力を維持してのさばっている。こっちは”All My Sons”ではなく「ご先祖様〜」とかになるのかしら?
12.16.2025
[theatre] All My Sons
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。