12月20日、土曜日の夕方、Curzon BloomsburyのDocHouseで見ました。
夏の公開時に見逃していたやつ。今年のGuardian紙UK版の2025年のBest Filmでは(フィクションも含めた全体の)2位、となっている。
監督は”20 Days in Mariupol” (2023)を撮ったウクライナの写真ジャーナリスト、Mstyslav Chernov。
ロシアに奪われた彼らの土地 - Andriivkaを奪還すべくウクライナ軍の3rd Assault Brigadeの一員としてヘルメットにカメラを装着して(同様にカメラを付けている兵士は他に6名、あとはドローンによる上空からの映像など)前線に立ち、自分たちの領土であるはずの地まであと約2000メートルの地点から数百メートルの単位で戦闘をしながら進んでいく、その過酷な行程を追う。
ロシア軍をAndriivkaから追い払える可能性は不明、わからない。目的地までのルートはほぼ焼き払われて焼けた木が点々と立っていて、廃墟となった家屋、足元は岩場だったり穴だらけだったり、ところどころにどちらの軍の兵士か、死体が転がったまま放置されている。
第一次大戦を描いたフィクション - で使われてもおかしくないプロット - のよう、或いは数年前に発掘された同大戦の記録映像のようでもある。でもこれはほんの数年前に実際に起こっていた戦闘の記録で、監督が撮ったインタビューしている兵士の何人かはそこから暫くして亡くなったことがナレーションで語られるし、さっきまでカメラの前で喋っていた人が少し先で倒れて動かなくなってそのまま、になっていたりする。フィクションみたいにエクストリームでなんかすごい、ではなく、こんな荒れ果てた場所でいつどこから飛んでくるかわからない銃弾に向かいながら自分たちも闇雲に撃ちまくり、「あと1000メートル」、「あと200メートル」とか司令部とやりとりしつつ前に進むしかないその様はどう見ても狂っていて(現場で心身喪失状態になっている兵士の姿も映し出される)、この狂気が第一次大戦から100年を経ても国際社会で容認されている、そのおかしさがおかしすぎて頭を抱える。ガザも間違いなくそうだけど。
兵士たちの数人は戦争が始まる前は別の職業についていて、戦争になってから兵士として戦争に参加している。ここは自分たちの土地だから、と。ここだけ見るとどっかの国のバカ右翼が、だから軍備増強徴兵しないと、って大喜びで乗っかってきそうだが、まず自国のいまの状態がどんななのか、きちんと見ることだな。という以前にこれらの映像を目にしてもなお、そっちの方に頭が向かうって頭に虫が湧いてるとしか思えないし、政治家としても人としても最低以下。
AIがそれらしいフェイク映像をいくらでも作れるようになり、カメラの小型化とドローン技術がここにあるような前線の映像を短期で送ることができる、こういう状況でこの映像がどこまで「ヴューワー」に「訴える」ことができるのか、みたいな文脈でしか語られないのだとしたら心底恐ろしいし、映画の、映像の可能性、なんて集金マシーンとしてのそれ以外にはもうないのか、って。
映画の最後、兵士が集まったところで、亡くなった兵士の名前がひとりひとり読みあげられ、その都度全員が”Presente!” と強く応えたりする反対側で「英雄は死なないというけどこんなふうにみんな死ぬ」という発言も出てくる。戦争は沢山の人をただ殺す。意味とか大義とかあるもんか。そしてこの映画の後、Andriivkaは再びロシアの側に渡って、戦闘は泥沼のまま。
瓦礫の中から怯えている猫を拾いあげてリュックに入れてあげるシーンがあって、ごめんね猫、って思った。
12.30.2025
[film] 2000 Meters to Andriivka (2025)
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