12月17日、水曜日の晩、National TheatreのDorfman Theatreで見ました。
原作はDavid Eldridgeで、知らなかったのだが、”Beginning” - “Middle” - と続いた二人芝居、全三部作の完結編で、でもそれを知らなくてもなんの問題もなかった。演出はRachel O’Riordan。
ステージはキッチン-リビングで奥の棚にはレコード、CD、本などがほどよいサイズとヴォリューム感できちんと収められていて、主人公となる二人の職業がDJ (夫)、作家(妻)であることを考えたら少なすぎないか、なのだが当然別の部屋に書架やレコード棚はあるのだろう、客を迎える間にあんなふうにきちんと本などが並べられているってなんて素敵なことだろうか。(誰に向かって言ってる?)
Alfie (Clive Owen)は90年代のアシッドハウスの頃に名を馳せて財をなしたDJで、Julie (Saskia Reeves) もやはり成功した作家で、Alfieは杖をついて末期がんの治療中で、冒頭、爽やかな朝の空気のなか、彼は化学療法による延命治療を止めようと思う、とJulieに告げるところから芝居が始まる。
JulieはAlfieの痛み苦しみを理解しつつも、彼が自分の先祖代々の土地に埋葬されたいというと、「じゃあ私はどうすればいいの? 私はあそこには入りたくない」というし、そもそも何の話し合いもしてないところで勝手に(そのうち)死ぬから、はないだろうと。こうして、果てのない、最適解なんてどこにもない会話が始まって、どこにいくのだろうか、になっていく。
延命治療を止めるということは自分で早期に死ぬことを選んだということで、その線で彼は葬儀や埋葬も含めて自分の死に方について自分で決めてよい、決める権利があるのだと思っている。でもJulieの理屈はそうではなくて、あなたの死を看取るのも死んだ後の始末や片付けをするのも自分なのだから自分の思いだって尊重してほしい、そんなのならそもそもなんで数十年も一緒に暮らしてきたのだ? と。
たぶん、ふつう、ずっと一緒に暮らしてきたのであれば、その辺の合意とか了解はある程度できている、互いにわかっている状態にあると思うので、この芝居のふたりのやりとりはかなりぎこちなく、そんなベーシックなことも話してこなかったの?とかになるのだが、それでも彼らの会話の悲痛なトーン、でも噛み合うとは思えないそれぞれの理屈とその正しさ - どうにか(自分の思う)正しいところに持っていこうとする努力 - は伝わってきて、いろいろ考えさせられることは確か。
会話だけではなく、お茶を淹れよう、って何度も言いながら淹れられないまま問いかけや言い争いに嵌ったり、とつぜんセックスしてみよう、ってやってみたり、彼は自分の葬儀でかける曲のリストを用意しているのか、都度リモコンで気分を変えたらあげたりすべく曲を流してみたり、しかしなにをやってもしばらく先に見える決定的な別れ = 死がすべての蓋とか可能性を塞いでいってしまう。でも、いわゆる難病ものの辛さやお涙に落とさないところはよいと思った。
ふたりが納得できそうな解ってやはりひとつしかなくて、そこに彼らが気づくところで終わるのだが、難しいことだねえ。もうまったく人ごとではないねえ。
Alfieの暖かく柔らかな笑顔とJulieの曲げない芯の強さ、その組み合わせがよくて、それを見ていると、このストーリー展開って、Alfie がハウス系のDJというみんなをのせて楽しくさせる仕事をしてきた人だから成立したのではないか、という気がした。彼が元パンクのミュージシャンだったりしたらぜんぜん別の展開になったりしたのではないか、とか。
12.30.2025
[theatre] End
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