12.22.2025

[film] It Was Just an Accident (2025)

12月12日、金曜日の晩、BFI Southbankで、”Mansfield Park”の後に見ました。 原題は“Yek tasadof-e sadeh”。

先日投獄されてしまったイランのJafar Panahiの作・監督によるイラン/フランス/ルクセンブルク映画。 今年のカンヌでパルム・ドールを受賞している。 ものすごい視野とスケールをもった黙示録的な作品かというとそんなことはぜんぜんない、どたばたホラー小噺みたいな作品で、でもおもしろいことはおもしろいかも。

冒頭、妊娠中の妻と幼い娘を乗せた車を運転していた男(Ebrahim Azizi)が夜の道で犬を轢いてしまったようで、その後に車が故障して、男はVahid (Vahid Mobasseri)のガレージに立ち寄る。障害があるらしい男の義足を引き摺る音を聞いたVahidは母親との電話中に、これはあの男だ!と確信して男の後をつけて殴り倒して自分の車に乗せ、砂漠に向かうと穴を掘って生き埋めにしようとする。おまえは刑務所で自分を痛めつけた”Eghbal” (=義足)だろう? と問い詰めるが埋められ中の男は、それは自分じゃない、この義足は最近つけたものだ、って必死になって否定する。

それを信じきれないVahidは、埋めかけていた男を縛りあげて目隠しして自分のバンに乗せ、彼ならこいつを特定できるかもしれない、と書店主のSalarのところを訪ねるのだが、Salarはそんなことをするもんじゃないよ、と身元確認を拒否して、かわりに結婚写真家のShiva (Mariam Afshari)を紹介する。花嫁のGoli (Hadis Pakbaten)と花婿のAli (Majid Panahi)の結婚写真を撮っているところにそいつを持ち込んでShivaに確認してもらうと、自分は目隠しをされていたので顔はわからないが匂いはこいつかも、というし、横でそれを見ていたGoliも、こいつが本当にあいつなら、自分も酷いことをされた許さねえ、って花嫁衣装のままブチ切れてのしかかる。でもそれでもまだ確証がもてないので、ShivaのパートナーだったHamid (Mohamad Ali Elyasmehr)のところに連れていったら、Hamidも見た瞬間に沸騰激昂して、まちがいないぶっ殺してやる!ってなるが、興奮すればするほど、本当にこいつがあいつなのかは確認したほうが… に全員がなっていく。

そのうち縛られている男の携帯が鳴って、何度も鳴るので出たほうがよいかも、って出たら彼の娘と思われる女の子で、妊娠中の母親が気を失っちゃったって泣いているので、彼女の家に行って母親を病院まで運んでケアを頼んで、そうして母親は無事出産を終えて、人助けはしたけど、自分らはなにをやっているんだろ… になっていく。(埋葬/生き埋め - 結婚 - 出産、というライフイベントがひと揃い)

本当にこいつが生き埋めにしてやりたいくらいの、あの憎っくき男なのか、冒頭の家族と一緒の姿から、埋められそうになった時の必死の抵抗から、そうじゃないのかもしれない、と思わせつつ、対面させた人々の反応を見るとやっぱりそうなのかも、になり、でも出産のどたばたを見てしまうと… ってバンにとりあえずいろんな格好 – 目隠し耳栓の被疑者、写真家、花嫁花婿 - で詰め込まれてジェットコースターで振り回されつつ全員がどこに向かっているのか、復讐したいのか復讐したからってどうなるのか、のぐるぐるの中にあって誰もはっきりと結論を出せない、という悲喜劇。

その上ここに、どこに行ってもサービスの対価としての賄賂を要求されて当たり前のような風土があり、Eghbalひとりを執念で問い詰めて復讐してどうしたところで、どうしようもないよね、みたいになる。結局どこにも行けない。

この落語みたいな小噺が政府当局に目を付けられたのはなんだかわかる。直截的ににどこがどう悪い、というわかりやすい批判や復讐譚ではなく、土壌として腐っているので土に埋めたくらいではどうにもならんのよ、という共通認識のようなところをあんま批判しようのないトーンで描いているから。そしてそこにあのラスト… あの音をPanahiも聞いたのだろうか、と思うとちょっとやりきれない。

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