8月28日、木曜日の晩、BFI Southbankで見ました。
日本から戻って、早く戻さねば(なにからなにをどこへ?)、ということで夕方に”Escape from New York” (1981)を見て、その晩の2本め。ものすごくよかった。
作・監督・主演はEva Victor、これが彼女の長編デビュー作で、今年のサンダンスでプレミアされていて、グローバルの配給はA24。
“The Year With the Baby”から始まって”Sorry, Baby”で終わる4章からなり、時系列は少し行ったり来たりがある程度、びっくりするような段差はない。
マサチューセッツのそんなに田舎ではないところ、大学で近代文学を教えているAgnes (Eva Victor)がひとりで暮らす一軒家に友人でクラスメートだったLydie (Naomi Ackie)が車で訪ねてきて、いっぱいハグしていろいろ語りあう。Lydieはお腹が大きくてもうじき生まれそうで、後で彼女は同性結婚をして人工授精を選択したことがわかる。そういったことも含めてふたりは互いのことをとても大切な友人だと思っていることがわかる。
そこから話はふたりがその家に一緒に暮らしていた学生の頃に遡り、修士論文を書いていたAgnesが彼女の草稿を褒めてくれたり『灯台へ』の初版本(US版かUK版か?)を貸してくれたり好意をもってくれているらしい教諭のDecker (Louis Cancelmi)の指導を受けるべく彼の自宅を訪ねていったら性加害を受けてしまう - そのシーンの描写はなく、彼女が彼の家に入り、周囲が暗くなってからその家を出て硬ばった表情で放心状態で家に帰ってLydieのケアを受けるところで初めて明らかになる。
翌日医者に行っても、すぐに来てくれれば フォレンジックできたのにと言われ、Deckerは突然大学を辞めて別の学校に移り、彼女が性加害の件を大学に訴えでたのはその後だったので、学校として彼をどうにかすることはもうできない、後は警察に行きますか? と女性の職員たち(「私たちも女性ですから」って)に問われた彼女は彼には子供もいるしもういいです、と投げてしまう。
その後、Agnesはjury dutyを要請されても性加害を受けたのに相手を告発できないような自分に人を裁く資質はない、と辞退したり、Deckerの後任として非常勤から常勤職に昇格できたものの殻が抜けたようになってパニック障害に襲われ、サンドイッチ屋の主人(John Carroll Lynch)に救われたり、隣人のGavin (Lucas Hedges)とてきとーな(なにを求めているのか不明な)関係をもったり、事件から3年が過ぎても極めて不安定で落ち着かない。けど、自分では/自分でもどうすることもできない。
性加害の事実を掘り下げて、その罪や問題のありようを問う、あるいはその痛みやトラウマを共有する、そういう映画ではなく、それを受けてしまった人はこんなふうになってしまうのだ、それは共有したり癒されたりする/できるようなものではないのだ、ということを淡々と綴る。だから画面から受ける印象はユーモラスと言ってよいくらいに乾いていて軽く、”Sorry, Baby”という呟きにはその辺りも含まれていると思う。(もちろん、だからと言って許されてよいようなものではまったくない。むしろ、なぜ彼女にそう言わせてしまうのか、ということが... )
最後、Lydieが連れてきた赤ん坊を前にAgnesがひとり淡々と呟く”Sorry, Baby”は、殆ど大島弓子世界のあれで、ここか、と思った。自分も含めて世界はほんとうにクソでしかない、そんなとき、かろうじて口にすることができるのは…
あと、この言葉は彼女が拾った子猫のOlgaにも。
9.01.2025
[film] Sorry, Baby (2025)
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