9.19.2025

[film] Dead of Winter (2025)

9月8日、月曜日の晩、Picturehouse Centralで見ました。

主演のEmma ThompsonとGaia Wiseのトーク付きのPreviewで、Emma Thompsonを見たくて取った。
監督はBrian Kirkで、今年のロカルノでプレミアされている。

上映前の挨拶でEmma Thompsonと娘のGaia Wise(映画で若い頃のEmma Thompson/主人公を演じている)が登場。母娘の共演は初めてだが、Emma Thompsonが初めて母のPhyllida Law(この晩の客席にいたそう)と共演した“The Winter Guest” (1997)でもタイトルに”Winter”が入っていたのはなにか因縁めいたものを感じる、と。 Gaia WiseはこないだRe-releaseで見た”Sense and Sensibility” (1995)のJohn Willoughby (Greg Wise)とElinorとの間にできた娘ってことね。

でも映画はコメディではなく、凍てつく氷の上でのアクション・スリラーだった。
“Fargo”の舞台となった(要するにめちゃくちゃ寒い)ミネソタの山奥で、Barb (Emma Thompson)がひとり、車で凍った湖にやってきて、氷の上に小さな小屋とかを設営して穴をあけて釣りをしたりする。そこに蘇る若い頃の記憶 - 若い頃のBarb (Gaia Wise)とやがて結婚することになるKarl (Cúán Hosty-Blaney)との最初のデートの場所がここで、後のほうで彼女はここにKarlの遺灰を撒きにきたことがわかる。

その湖に向かう途中で、道を尋ねようと車を停めたところで薪を割っている怪しい男(Marc Menchaca)がいて、道に血痕があったりして(鹿のだ、って男は返す)、なんか気になった彼女が帰りに寄ってみると、声が聞こえて若い女性(Laurel Marsden)が地下に監禁されているのを見つけ、なんとかしなきゃ/助けるからね、になったところでさっきの男より更に凶暴な女(Judy Greer)が突然現れて銃をぶっ放してきて、撃たれて怪我をしたBarbはいったん引っ込んで、傷口を釣り針で縫ったりしつつ、まちがいなく自分を殺しにきそうな連中とどう対峙すべきかを考える。

ここまでで、いろんな思い出を抱えたBarbが凍った湖にわざわざやってきた理由はなんとなくわかったが、ヒルビリーぽく荒れた男女 - 夫婦らしい - がなんでこんなところにいて、なんで若い女性を誘拐・監禁して、なにをしようとしているのか、はちっともわからない。中盤の湖の氷の上と監禁されている山小屋、その中間にある自分の車などを行ったり来たりの闘い - 手近にある使えそうなものを全部使って若い女性を救いだし、自分を殺しにくる敵との闘い、敵側からすれば知られてはならない自分たちがやろうとしていることを邪魔しようとするBarbを片付けないことには前に進めないのだ、という闘い - はとにかく寒そうで辛そうで、なのだが目を離すことができない。

そのきつい闘いのなかで、きつい闘いのなかだからこそ、なのか都度蘇ってくる彼女とKarlのいろんな思い出、流産したり彼が痴呆症になったり、その後の死別まで、それらを思い起こした時にEmma Thompsonが見せる表情はこれまでのおしゃべりで相手をきりきりさせるそれとは全く異なっていて、ぎすぎすした中でもなにかを包みこもうとするような暖かさがある。

そして、彼女の反対側に立つ悪漢Judy Greer、彼女も割とrom-com系に多く出ていたイメージがあったのだが、ここでの鬼婆っぷりときたら、なんでそこまで… というくらいすり切れて毛羽だっててものすごくて、夢に出てきそうなくらい。

クライマックスは書きませんが、スタントなし(だったそう)で結構すごいことをやっているので日本で公開されたら(地味すぎるので配信かなー)、見てあげて。

上映後のトークで印象に残ったのは、Emma Thompsonが語っていた、この映画には男性中心のこういうアクションもので描かれる闘いのマナー(怒りとか義憤とかがトリガー)とは全く異なる、何も持っていないところから知恵と近くにあるものを総動員して闘っていく、フェミニンなそれがある、ってとこ。 簡単にできることではなさそうだけど。

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