8月31日、日曜日の昼、BFI Southbankで見ました。
英語題は”Little Trouble Girls”。原題は「彼女どうしちゃったの?」くらいの意味らしいが、英語題は最後に流れてくるSonic Youthの同名曲(”Girl”の単数複数の違いはあるが)から。あの曲がこんなかたちではまってしまうとは。
監督はスロベニアのUrška Djukić(脚本にも共同参加)。 彼女にとってはこれが長編デビュー作となる。
今年のベルリン国際映画祭で、FIPRESCI Prize(Perspectives)を受賞している。
16歳のLucija (Jara Sofija Ostan) はカトリックの学校で女性合唱団(の部活?)に所属していて、冒頭から厳しめの男性コーチに鍛えられている。彼女はすっぴんでおとなしく、目はぼーっと宙を眺めつ内側に篭っていて、彼女の隣にはメイクもしていてLucija から見ればとても大人なAna-Marija (Mina Švajger)がいて、面白半分にいろいろ教えてくれる。
合唱団は毎年恒例らしいトリエステ近郊の修道院での強化合宿にバスで向かって、川が流れていたりきれいな田舎なのだが、バスの窓から河原に全裸の男性が立っているのを見てしまったり、それくらい周りにひとのいない田舎で、中庭のある修道院は工事中で昼間は工事の音がやかましく、さっきの全裸男はそこの作業員のひとりであることがわかる。
コーラスの練習は厳しくてコーチは何度も繰り返しLucijaに「目を覚ませ」と言い続け、彼女ひとりで歌わせて、でも彼女はずっと目を覚ましているし、でも音楽よりもAna-Marijaと川べりに行って川辺で裸になっている作業員たちを見たり中庭のオリーブの木を眺めたりする方に興味があったりする(ように見える。表情などから)。
ただこの作品は、世の薄汚れた男たちが期待するような少女の所謂「性の目覚め」(ってそもそもなに?)を描いたような作品とはちょっと違っていて、Lucijaの内面の声や葛藤が描かれたり、それが何かをキックして具体的な行動や発言として表に現れたりすることは殆どない。彼女のクローズアップは何度も出てくるが泣いたり怒ったりといった感情が露わになることもなくて、ほぼ何を考えているのかわからないまま – そしておそらくそれが男性コーチの苛立ちの根にもある - そんなLittle Trouble Girl。
なぜ合唱の声はあんなに美しく、その雲が教会にある聖女の像などと結びついて聖なるイメージを形作るのか、なぜAna-Marijaの誘いはなんでもかんでも性的なものに導いているように見えるのか、Ana-Marijaがかっさらってきた作業員のシャツをわざわざ彼のところに返しに行ったLucijaは一体なにを考えていたのか、そういったところに目線や考えを導いていって、それは謎のまま謎としてなんだか心地よい。そして聖なるものとは、性的なものとは、なんであれらは我々を虫のように惹きつけてしまうのか、についてシンプルに映像で結んで語ろうとする。
最後のコーチが強いてくる対決、のような場面の描き方もはらはらするけど、それに続く場面でLucijaはあれでよかったのだ、と思わされる。彼女はあの後どうしていくのか、はあるけど、とりあえずよくあるところには着地していないような。
JLGが生きていたら絶対Lucija - Jara Sofija Ostanをキャスティングして何か作っただろうな、そんなわかりやすい透明感があって、そこは悪くない気がした。
9.09.2025
[film] Kaj ti je deklica (2025)
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