こないだ日本にいって、一番残念無念だったのはシネマヴェーラの特集『ルビッチ・タッチのすべて』のうち、たったの1本しか見れないことだった。1本見れただけでも、とすべきなのだろうが…
でも戻ってすぐ、BFI Southbankで月1回のサイレント映画特集で、ルビッチをやってくれた。
“Shakespeare by Lubitsch”と題して、2本立て。ライブのピアノ伴奏つき。
シネマヴェーラのプログラムでは “Meyer aus Berlin” (1919) - 『ベルリンのマイヤー氏』と”Romeo und Julia im Schnee”(1920) - 『田舎ロメオとジュリエット』の2本を束ねていたが、こちらはシェイクスピア由来(+バイエルン舞台)というこの2本立て。しかし、ルビッチって、”To Be or Not To Be” (1942)といいこれらといい、シェイクスピア(のコメディが?)好きだったのだろうなー、って。
Kohlhiesels Töchter (1920)
8月31日、日曜日の午後に見ました。
2023年に修復を終えた4Kリマスター版で、上映時間は65分だったので、日本の(60分)とはバージョンが少し違うのかも。 英語題は“Kohlhiesel's Daughters”、邦題は『白黒姉妹』。
原作はシェイクスピアの”The Taming of the Shrew” (1590-92) - 『じゃじゃ馬ならし』。
ルビッチのドイツ時代のコメディで最も人気を博した作品で、でも第一次大戦があって、英国に入ってきたのはずっと後だったのだそう。
バイエルンに姉のLiesel (Henny Porten)と妹のGretel (同じくHenny Porten)の姉妹がいて、似てはいるけど性格も振る舞いも正反対で、Lieselは男勝りで力持ちで睨みを効かせてこわくて、Gretelはその真逆で所謂女性らしく、行商人への対応にしても旅人Xaver (Emil Jannings)とSeppl (Gustav von Wangenheim)への対応にしてもぜんぜん違って、Lieselが現れると場が凍りついてモノが壊れて惨劇となり、Gretelが来ると場が和らいで男達はめろめろになり、そうしてXaverはGretelにやられて結婚を申し込むのだが、彼女の父(Jakob Tiedtke)はまずLieselの結婚が先だからだめ、という。それなら、とXaverはLieselと結婚して、すぐ離婚してGretelと一緒になればいいんだ、ってLieselに近づいていって、その反対側でひとりになったGretelのところにはSepplが…
というのを一目瞭然のアクションと白黒の表情でぐいぐい引っ張りこんで笑わせて、なんかどこか変だけど、ま、いっか、とすべてを納得させてしまうすばらしさ。
Henny PortenとEmil JanningsがAnna Boleynとヘンリー8世をやった” Anna Boleyn” (1920) - 『デセプション』も見たいよう。
Romeo und Julia im Schnee (1920)
英語題は“Romeo and Juliet in the Snow”、邦題は『田舎ロメオとジュリエット』。原作はいうまでもなくあれ。
↑と同じバイエルンの山の民を舞台にした「ロメオとジュリエット」で、バイエルン人はナポリ人だから – ってよくわからないことが『ルビッチ・タッチ』の本には書いてある。
雪のなか、両家の対立がわかりやすく描かれて、結婚相手が決まっているジュリエット(Lotte Neumann)がロメオ(Gustav von Wangenheim)と出会って結婚したくなってもだめらしいから毒薬くださいー、ってふたりで薬局に行って、薬局もあいよ毒薬ねー って簡単にだしてくれて、一緒に飲んで横になって、それを見た両家はこんなことなら、って嘆くのだが毒がぜんぜん効かないので起きあがったらよかったよかった、になるの。すべてがどうでもよくてバカバカしくて、学生の自主映画みたいにいい加減なノリなのに何が来ても笑えてしまう。あと、ジュリエットの許嫁のバカ息子(Julius Falkenstein)が昔のビートたけしそっくりだった。
Design for Living (1933)
8月25日、月曜日の午後にシネマヴェーラ渋谷で見ました。 『生活の設計』。
原作はNoël Cowardの同名戯曲(1932)をBen Hechtが脚色している。
これに主演の3人だけで、5時間でも6時間でも見ていられる。(実際には91分)
パリに向かう列車の客室で広告イラストを描いているGilda (Miriam Hopkins)と画家のGeorge (Gary Cooper)と劇作家のTom (Fredric March)が一緒になって、3人は楽しく意気投合して、セックスしないという条件で共同生活を始めるが、やっぱりムリで、それぞれが不在の間にしちゃって、気まずくなること2回、Gildaは出て行って広告会社のボスでつまんない奴Max (Edward Everett Horton)と結婚するが、パーティに乱入してきたGeorgeとTomがめちゃくちゃにして、パリでまた元の生活に戻る。
まず元のデザインがてきとーでなんも考えていなかった、というか、デザインは割とちゃんとしていたがそこに暮らす人のことを考えていなかった、というか、そこで暮らす人々の挙動とかを想像したらそれらがなんか生々しすぎて笑えなかった、ということなのだろうか。それか、TomとGeorgeもやっておけばみんな平等で、破綻しなかったかもしれないな、とか。
こないだの”Materialists”の3人なら大丈夫だった(なにが?)のではないか、と思ったりもした。
「ルビッチ・タッチ」のおもしろいところって、映画としてうまくいっていない、とされる作品でも、何度でも見てしまえるところだろうか。俳優とか脚本のよさ、とは別の次元でついなんか。ちっとも名盤ではないけど、何度でも聴いてしまうレコードとおなじで。
9.02.2025
[film] Shakespeare by Lubitsch
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