9月16日、火曜日の晩、Curzon Aldgateで見ました。
“This Is Spinal Tap” (1984)から、監督Rob Reinerも中心のバンドメンバー3人も進行役のMarty(Rob Reiner)もすべて引き継がれ、全員がプロデュースにも関わっていて、準備段階から世界の片隅でいろいろ囁かれていた待望の続編。 と言いつつ誰もそんなにものすごく待望しているわけでも、というところまで含めてすべて計算に入っている。
パート1が登場した当時、ロックはもうとっくに脳死していて、メタルはただの冗談でしかなかった。冗談として冗談をやっている、という点でこの作品はタチが悪いやと思って、なので公開当時には見ていない(見たのは00年代に入ってからだったかも)。 ただ不思議なことに、この作品の評価はどんどん上がって伝説のような神話のようなものになり、DVDはCriterion Collectionからリリースされ、National Film Registryに登録(2002)までされる問答無用のクラシックになってしまった。
そして今日、メタルは収益でいうとライブ産業(コンテンツ)のメインストリームとなり、先のOzzyのライブでもはっきりしたように感動などを呼んでしまうものにもなって、リブートもフランチャイズもあって当たり前の世界なので、すべてはSpinal Tapのために、くらいの凱旋リリースとなってもおかしくないくらいなのだが、そこまで堂々としていなくて、あえて外しているように見えて/見せてしまうところがいかにもこのバンドの世界らしい。
冒頭、今世紀の伝説となること間違いなしの再結成&ファイナルライブのカウントダウンが始まったバックステージでのメンバーの表情をとらえて、全員が浮かない顔をしていて、そこから遡ってバンドにあと1回ライブする契約が残っていたことを確認した監督/語り部のMartyが、生き残った伝説のメンバー3人を訪ねていくところから。
Nigel (Christopher Guest)は妻と一緒にギターとチーズのお店 - ギターとチーズを交換もできる – をやっているし、David (Michael McKean)はpodcast用の音楽を作ったりしているし、Derek (Harry Shearer)は接着剤博物館を運営していて、それぞれ音楽とは細々と関わりを続けているものの、典型的な元セレブの「余生」を送っていて、でもたぶんできるかもやれるかも、って周囲を睨み合いながら最後となるライブに合意する。
こうして音楽をまったく理解できないプロモーター(Chris Addison) - あの、韓国の踊るボーイズみたいのはできないのか?とか言う - と契約し、会場はStormy Danielsがキャンセルしたので空いていたニューオーリンズのアリーナに決まり、空いていたドラムスにはQuestlove, Chad Smith, Lars Ulrichらにオファーが行く - 画面で彼らとちゃんとやり取りしたりする - ものの「残念ながら」、って断られて若い女性のDidi (Valerie Franco)に決まって、リハーサルが始まると、Paul McCartneyやElton Johnが顔を出したり、復活に向けたよい雰囲気は確実に作られていくのだが、もちろん、メンバー全員は浮かない顔をしてメンバー間とスタッフと小競り合いのようなことばかりしている…
モキュメンタリーなので、こういう復活劇にありがちなこと全部が隅々まで盛られていて、それをわかった上で楽しむ、のが正しいことはわかっているのだが、すべてがあまりにどこかで見てきた馴れ合い、倦怠、失望などにリンクしていて、メンバーはずっと冴えない表情で、でもライブの演奏シーンのところだけほんの少し神が降りてきて、その神が次なる惨劇を呼んで、” The End Continues”と…   作品としては40年を費やして彼らとおなじように萎れてしまった前作からのファンの思いにもきちんと応えるものになっている、とは思うものの、その間のドキュメンタリー/モキュメンタリーの多様化とか深化も踏まえると、とてつもなくばかばかしいことだねえ… って返すのが正しい反応、でよいのか。
彼らのことを一切知らない若者たちが見たらどう見えるのかしら? とか。
9.23.2025
[film] Spinal Tap II: The End Continues (2025)
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