7月22日、火曜日の晩、Globe Theatreで見ました。
夕方に夕立がざーっと来て(野外なので)すこしはらはらしたが開演前にはあがってくれた。
前回、5月の終わりにここで”The Crucible”、を見た時はLower Galleryの最前列だったが、今回は同じGalleryの最後列にしてみる。後ろに背もたれがあるとやはり全然楽かも(上演時間は休憩を挟んで2時間50分。立ち見ムリ)。貸し座布団(有料)は今回も借りず。
前の方の立ち見のYardは観光客も含めてぎっしりで、やはりどうしても騒がしく落ち着かなくて、集中して見たい時にはややしんどいかも。昔のお芝居なんてもっとざわざわしてこんなもんじゃなかった、というのもわかるけど。
原作はもちろんShakespeare、演出はSean Holmes。この劇をライブの舞台でみるのはこれが初めて。
西部劇のサルーンバーの入り口のようなセットで、左右の木のドアは開閉がぱたぱた容易で、こちらを向いて椅子がふたつ。左側の椅子の後ろには撃たれたのか拷問されたのかでっかい血痕がいくつか。2階にも扉があって、たまにバンジョーとかハーモニカとか、じゃららん西部劇ふうのラテンメロを奏でるバンドが顔をだす。ダンスシーンはもちろん西部劇に出てくるラインダンスになる。
無法者たちの抗争に明け暮れる西部劇、のなかにMontague家とCapulet家の宿敵同士を置いてみる、というのは可能なのか? 映画とかで見る西部劇のアウトローって、家族とか群れとかを作らずに – だからアウトロー – 女性が必要になったら娼館に行ったり、というイメージだったので、これってあるのかな? というのが少し気になったが、なんとなくわかるし、小競り合いとかも含めて、そんなに外れたかんじはなかった。
なのでRomeo (Rawaed Asde)もTybalt (Calum Callaghan)もずっとカウボーイハットを被っていて(なので表情があまりよく見えない、どっちにしても仏頂面ぽいけど)、恰好ばかり気にしている単細胞の荒っぽいあんちゃん達で、アーリーアメリカン・ファッションのJuliet (Lola Shalam)も(その乳母 -Jamie-Rose Monk)もぶっとくふてぶてしく堂々としてて、ちょっとやそっとで崩れたりやられたりするかんじはなくて、全体としてはコミカルでどたばたしながら膨らんでいく恋愛活劇のようで、悪くなかったかも。
ふたりが恋に目覚めてしまうあのシーンは、客席側から台に乗って運ばれてきたJulietが自分でも信じられない、みたいに口先で浮ついた言葉を繰りだし、それに応えるRomeoも何が起こっているんだ、という顔と言葉で応えて、この辺りの応答のテンポから、ふたりが揃って走りだすかんじがとてもよいの。
こうして前のめりに動きだしたふたり、恐れるもののないふたりが藁にもすがる思いで薬を手にしてしまう最後の悲劇のところも、性急でつんのめっていて、互いに何が起こったのかわからないまま、ぷつりと糸が切れてしまうかのようで、家族も観客も含めてみんなあっけに取られてしまう。そして後から寂しさと悲しさと、なぜ…? がじんわりとくる。
コスチュームとか俳優の硬めの動きとか勢いとか、何よりも騒がしい西部劇設定そのものが、最初はだいじょうぶかこれ… だったのが、後半に向かうにつれて魔法のような恋の一瞬の夢、終わらないで、っていう切なさが襲ってきて、その勢いがあっさり突然に断たれて、うそ… ってなる、その緩急の見事さ、それでもってエモを鷲掴みにする強さって、演出というより元のドラマがすごいってことだろうなー、って改めて思った。
 
8.05.2025
[theatre] Romeo and Juliet
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