8.18.2025

[film] Marlee Matlin: Not Alone Anymore (2025)

8月6日、水曜日の晩、BFI Southbankで見ました。

上映後のディスカッションが付いたプレビューの回で、会場に来た殆どの人たちは殆ど手話で会話している。映画もフルで音声キャプションが付いてて、配給のDogwoofのロゴでわんわんの声が入るところも <woof woof> ってちゃんと。

監督はShoshannah Stern、”Children of a Lesser God” (1987)で聾者として初めてオスカーを受賞した 女優Marlee Matlinの足跡を追ったドキュメンタリー。彼女がすばらしいことは勿論なのだが、そこにクローズアップする評伝、というよりハリウッドの中で聾者としてあるとはどういうことだったのか、について考えさせる内容のものだった。

それまで健常者が聾者を演じるのが普通だった時代があり、そこでの演技は健常者がもつ聾者としての役割なりイメージなりに沿ったもの - そこには健常者の都合以上の何の正当性もない - である必要があり、彼女が演じる場合にもそれをふつうに要求されてしまう。例えば声を出すことはできるのにそれをすると変な顔をされたり、健常者にとってこう振るまってほしい、という聾者のありように合わせるように強制される。そのイメージの焼き付けや刷り込みは(最近は減ってきたとは言え)大衆アートにおける「女性」とか、キャラクターの属性一般対するそれと似ていて、無意識無反省にそういうものかー、になってしまうもので、そしてその状態から導きだされる「感動」とやらもまたー。

そういうのに抗う、というのは簡単な道ではなくて、子供の頃からの虐待はずっと、成人してからも(William Hurtからの等が)続いていたり、ドラッグ漬けになったり、ここでは”CODA” (2021)で2人目の聾者のオスカー受賞者が生まれるまで、が描かれるが本当にいろいろ切り開いてきたのだな、というのが具体的によくわかる内容のものだった。

個人的には、アメリカのケーブルTVでの字幕(Closed Caption)の必須化を実現したのは彼女、と聞いてああー、って。あれがなかったらアメリカで暮らし始めた当初、死んでたかもなので改めて感謝を。


Elio (2025)

8月9日、土曜日の昼、BFI Southbankで見ました。
ライブで朝帰りした直後で、ちょっとくらくらしていたけど眠くはならなかった。
邦題は『星つなぎのエリオ』。星つなぎってなに?

Disney/Pixarの新作アニメーションで、監督が途中で替わった - おそらくテーマや方向性が社のそれと合わなくなったいのでクビになった、という話は聞いた。

“Inside Out”のシリーズと同様、迷って行き場を失って孤立した子供(弱者)が主人公となる冒険もので、いっつも思うのだが、会社としてのDisneyは今の子供たちの置かれた状況や事情のどこが、どうして「問題」だと思って(分析して)いて - もちろん「問題」とは言わないだろうが - それのどこをどうピックアップして、どういう方向に持っていこうとしているのか、それはどういった理由 - 家族像・家族観 - から来るものなのか? そっちの方がよっぽど知りたい(愛とか抽象的な言葉を使わずに説明せよ)(もう誰かが研究でやっていそう) 。

というのが底にあるのであまり楽しく見ることはない(子供がいたら違ってくるのかしら?)のだが、今回のElioは両親を失い、唯一引き取って貰えた叔母からも相手にされず、友達からも虐められるばかりのElioが無線を通して宇宙人と知り合い、宇宙に出てはじめて(多少ウソをついたけど)受け容れられて友達もできて、地球の方は面倒だからクローンでも送っとけ、っていうお話しで、うんうん、って頷いて見てしまった。うらやましい。

Elioの親友になるGlordonのやろうがかわいくて、ぬいぐるみがほしくなる。 探せばどこかに売っているのだろうが、見たら買っちゃうかもしれないので、見ないし探さないし、にしている。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。