8.04.2025

[music] BBC Proms: Ravel's Piano Concerto for the Left Hand

7月20日、日曜日の晩、Royal Albert Hallで聴きました。

Promsは、夏の間の8週間、Royal Albert Hallでクラシック音楽を中心に毎日いろんなプログラムをそんなに高くない値段で提供すべく1895年からずっと続いているイベントで、1927年からはBBCが仕切って放送などもしている。全プログラムを録って流しているRadioのBBC3は日本でも聞くことができるのかしら?

夏が近くなると今年のプログラム冊子が書店に並んで、ものすごいスター奏者のでなければチケットを取るのは難しくないし、クラシック聞きたいけど敷居が、とか演奏のよしあしも含めわからないことが多いけどライブで聞いてみたい、っていう自分のような者には丁度よいの。アリーナにあたるオーケストラ席のエリアなんてスタンディングでライブハウスみたいにかぶりつきできるし(スタンディングしてまでがんばって聴く気力体力はないが)、クラシック以外の演目だと、今年は9月にSt. Vincentがある。

この日のプログラムは最初にDmitry Shostakovichの”Suite for Variety Orchestra”、続いてメインのMaurice Ravelの”Piano Concerto for the Left Hand” (1929-30)、休憩を挟んでWilliam Waltonの”Symphony No. 1 in B flat minor”(1931-35)、演奏はBournemouth Symphony Orchestra、指揮はMark Wigglesworth、ピアノはNicholas McCarthy。

このPromsでラヴェルの「左手…」が最後に演奏されたのは1951年、この曲の依頼者であるPaul Wittgenstein - 第一次大戦の負傷で右手を失った - 自身によるものだったそうで、そこから74年を経て、生まれつき片腕のピアニストNicholas McCarthyによる今回の再演となった。

さて、ラヴェルの”Piano Concerto for the Left Hand”と言えば、ゴダールの”Passion” (1982)で、映画の最初のほうで、ぐいぐい上に伸びていく飛行機雲にこの曲が絡まっていくシーンがあって、それは映画音楽、というより映像と音楽がいかにひとつのイメージをかっこよく形作るものなのか、の最良の例として自分のなかでは刻まれていて、そういうのもあるのでたまらなかった。

ピアノは熱がこもって力強く、アンコールではスクリャービンの左手のために作られた曲(たしか)を演奏していた。

後半全部を使ったWilliam Waltonのシンフォニーは英国のかっちりした枠に印象派の透明さ柔らかさを融合させようとしているかのようで、ちょっと奇妙な味のおもしろさがあった。


Late Night Proms: Boulez and Berio: 20th-Century Giants

7月23日、水曜日の22:15から聴きました。

Promsには、通常プログラムが終わった後、21:45開場 - 22:15に開演するLate Night Promsっていうシリーズもあって、現代音楽とか、子供はすっこんでな系のプログラムをやっている。休憩なしで23:30くらいには終わるので終電にも間に合うし(前住んでいた時は歩いて帰れたし)、sold outすることなんてまずなくて空いていて、とてもよいの。席は好きなところを選び放題なので、ステージの真後ろを取ってみたり - 周囲はほぼだれもいないので大変にだらしない格好をして聴いたり。

この日はLuciano Berio vs. Pierre Boulezというどちらも1925年生まれ(生誕100年)の現代音楽の変態 … じゃないど真ん中のふたりの曲を3つ。演奏はPierre Bleuse指揮によるEnsemble intercontemporain。創設者のPierre Boulezがいた頃はCarnegie Hallによく聴きにいったなー(というくらい好きなバンド)。

最初はBerioの”Sequenza V” (1966)。

Berioが幼い頃にお気に入りだったスイスの道化師にインスパイアされたトロンボーンのソロで、奏者は緑アフロのカツラ(たぶん)とどた靴のピエロの格好で登場して演奏する。背後の席なのでメイクまで見えなかったのが残念。

続いて、Pierre Boulez: Dialogue de l’ombre double (1982-5)

クラリネットのソロで、奏者が立つ位置を変えながら録音してあった(?)自分のソロと対話をするかのように共鳴させ、蛇のようにぬたくり掘り進めていくかんじ。

続いて、Luciano Berio: Recital I (for Cathy) (1972)

このフィナーレだけ指揮者と17名のアンサンブル(ピアノ4台を含む)にソプラノ歌手が入って、ちょっとクラシックぽくなる。Berioが前妻のために書いた曲だそうで、リサイタルにやってきても伴奏者が不在でだんだんおかしくなっていく歌手の姿を描いた曲、ということだが、どこがおかしくなっていくのかわからないスリリングな演奏だった。

スイスに出かける前の晩だったので家に帰ってからがちょっと大変だった。


Late Night Proms: Arvo Pärt at 90


7月31日、木曜日の22:15から聴きました。↑のBerio vs. Boulezよりも客は入っている。

Arvo Pärtの90歳を祝ってTõnu Kaljusteの指揮によるEstonian Philharmonic Chamber Choirがひたすら静かに歌う。ほぼ人声による合唱のみ、曲によって少しだけオルガンや太鼓やドラがはいる程度。プログラムは3〜10分くらいの短い曲ばかり、全12曲で構成され、PärtだけでなくRachmaninovやJ.S.Bachも、あとエストニアのVeljo Tormis (1930-2017)の”Curse upon Iron”というヴォーカルと手持ち太鼓が暴れまわる曲が見事だった。

Arvo Pärtというとたまに映画で裏の闇とか狂ったシーンの際に挿入される音のイメージがあったが、今回のような合唱中心だと、ものすごく静かに畝って捻じ曲がっていくかんじというか、重ねられた声のもつ異物感、異様さが際だっていて、そこにわかりやすく「祈り」のような何かを貼ってしまうのもどこか違うような。

今年のPromsは(今のところ)あと2回。

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