4月22日、火曜日の晩、BFI Southbankで見ました。
昨年のLFFでも上映された新作で、イタリア映画の”Mid-August Lunch” (2008) – 未見 – をアイルランドのDarren Thorntonがリメイクすべく、舞台をローマからダブリンに移して作ったアイルランド映画。
中年のゲイでYA小説家のEdward (James McArdle)は脳梗塞で倒れて以降喋れなくなっている母のAlma (Fionnula Flanagan)の面倒を見ながらふたりで一緒に暮らしている。 彼の新しい小説は評判もよくて、次のブレークのためアメリカにプロモーション・ツアーに行く計画があって、John Greenとのトークも予定されていたり、彼の将来のためには極めて重要なイベントなので、地元メディアもプレスもうまくいくように、って手を取りあって見守っているのだが、Edwardはやはり母のことが気になるし、実際に日々いろんなことが起こるので、どうしたものか、になっている。
喋れないと言っても、AlmaはずっとiPadを抱えていて、やってほしいことなどをiPadに打つと即時で音声変換してくれる - その無機的なロボット声がなんかおかしい - のでものすごく困った事態にはなっていないものの、ずっと一緒に暮らして食事をしたりしているので、彼が少しの間でも離れて別の土地に行くのはまた別の話だと思うし。
という彼の状態を知ってか知らずか、2人のゲイ友達が、週末のカナリア諸島でのプライド・フェスに参加したいから、と彼らの母親2人を犬猫を捨てるみたいに戸口に置いて、ごめーん、とか言いつつ去っていき、更にはEdwardのセラピストで、彼のアメリカ行きを行くべき、って強く支援していたDermot (Rory O’Neill)も、フェスの広告を見ているうちにムラムラしてきて、自分の母親を置いて、旅立ってしまう。 こうして自身のに加え、よく知らない3人の母親たち - 計”Four Mothers”の面倒をみることになったかわいそうなEdward - ものすごくアメリカには行きたい、なのに - の悲喜劇が軽いタッチで描かれていく。
主役のEdwardが女性だったら、相手をするのがFour MothersではなくFour Fathersだったら、うまく成り立たないドラマのようにも見えて、過去にはいろいろあったのであろう人がよくて、頼まれたら断ることも毅然と決めて動くこともできない丸っこいEdwardのキャラを真ん中に置くと、性格(憶測)も挙動もばらばらで不敵な四人の母親たちが彼を囲んでいる – 朗らかなだけでも、叱っているふうでもない - 絵はなかなか素敵なものに見えてきて、全体としてはよいかんじかも。
他方で、映画として見た時に、こんなにあっさりお行儀よく収まってしまってよいのか? という不満はわいてくるような。一言も言葉を発しないAlmaを始め、裏にものすごくいろいろ抱えてきた/いそうな女性たち - 自分の子供たちは週末の快楽のために自分を棄てた - が一箇所に固められて、多少の騒動は持ちあがるものの、あんなに大人しくお行儀よくしていられるもの? アイルランドのおっかさんたちだよ?
ということを感じさせてくれるような面構えの、そこにいるだけでいろいろ思わせてくれる女優さんたちだったのでなんか勿体なくてー。しっとりしたメロドラマに仕上げる方もあったかも、とか。
世界各国でいろんな”Four Mothers”をやってみたらおもしろいかも。見たいかも。
4.29.2025
[film] Four Mothers (2024)
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