4月21日、月曜日だけどEaster Mondayの祝日だったことを知る – にCurzon Bloomsburyで見ました。
監督は”Civil War” (2024)のAlex GarlandとRay Mendozaの共同、”Civil War”は架空の(であってほしいがそうでもなくなりつつある)戦争を描いていたが、これは2006年のUSのイラク戦争時、イラクのラマディに派遣された小隊に実際に起こったことを描いていて、共同監督で”Civil War”で軍事コンサルタントをしていたRay Mendozaは、その小隊に所属して戦闘の只中にいた一人だそう。 1時間35分 – Alex Garlandの映画は2時間を超えないのがよいの。
“Civil War”の百倍ぐちゃぐちゃでこわい。エモ一切抜きで、物理で、戦争ぜったい嫌だ無理、になる。
2006年11月、アメリカのNavyの小隊が夜中、イラクのふつうの住宅街をそうっと抜けていき、一軒の住宅に入ってそこに住んでいる家族を別部屋に隔離して持ち場について何かの準備に入る。小隊のメンバーはRay Mendozaも含め全て実際の隊にいた人たちを俳優が演じている(エンドロールで各自の対比がでる)。狙撃手が設置した銃座から窓の外の何かを狙って監視する以外は、全員が床に座って計器を見たり通信したり、ぼーっとしたりの沈黙が続くが、個々の作業や通信で会話されている内容がなんなのかはほぼわからないし、そもそも彼らがどういう目的でここにいるのか/来たのかも映画の中では語られない。わかるのは何かを監視して様子をみて攻撃すべく待機している? くらい。
朝になってもその状態は続いて、でも監視をしている反対側の建物の方で少しだけ人の動きと出入りがあり、少しざわざわしてきた、と思ったら手榴弾がいっこ、からん、て部屋に投げ込まれ、そこから混乱が始まって、とにかくここを出た方がよい、と救援で呼んだ戦車が人を乗せている途中、建物の入口で爆破されてからは血みどろと叫び声で右も左も、になる。上空から周囲の人の動きが見える端末の映像もあるし通信での交信もいろいろあるのだが、建物の前の道端に人の足が転がっている、その棄てられかたが何かを語る - 向こうもこちらも動けずに固まったまま。
この上映はDolby Atmosのシアターで見たのだが、音がものすごく強くて恐い。戦争の音の恐ろしさは”The Hurt Locker” (2008)辺りで思い知ったと思うが、あれ以上に静寂とばちばちのコントラスト - 爆発音、(遠くの、近くの)銃声、叫び声、低空で飛んでくる戦闘機、散乱するホワイトノイズ、自分の中なのか映像の向こうなのかの耳鳴り、家の中で視界が限られている中、耳もまた暴力的な音で塞がれて逃げようがない。
ここには従来の戦争映画にあったようなこういう状態に置かれたことの意味や大義や正当性を問うような会話や状勢の説明は一切ない。この戦争がどういう目的のもとで為され、彼らがどういう指令のもとでここにいて、そこで敵と味方の線引きがどういうものなのか、これらがなくて、それは現場にいる彼らも同様のようで - あのイラク戦争そのものがでっちあげだったし - 映画の後半は戦うというより戦意なんて知るかになった彼らがどうやってこの状態から逃げるか、逃げることができるのか、が焦点になってくる。 自分から首を突っこんで抜けなくなる系の極限ホラー、とカテゴライズしてもよいのかも。
という状態なので、次に、では戦争 - “Warfare” - とは?戦争映画とは? という問いが来て、最近の戦争ものがアニメも含めてファンタジーやゲームみたいになっている傾向がなんかよくわかる気がする(あくまで気がする)、この乖離って、とてもよくない、危険な傾向ではないかと。
エンドロールで映画のモデルとなった兵士たちの現在 - 朗らかに出てきて再会したりするのだが、あれは別になくてもよかったのではないか。
RIP David Thomas..
最後にライブを見たのは2018年8月のNYだった (その前だと90年代のNY)。
自分の中ではMark E. Smithと並ぶ唯一無二のヴォーカリストだった。マンチェスター vs. クリーブランドと、どちらも地方都市のバンドでありながらバンド名の起源はどちらもフランスの文人(Albert CamusとAlfred Jarry)だったり、バンドだけどメンバーはちっとも固定していなかったり、しかしそのライブが外れだったことはなかった。
ありがとうございました。
4.24.2025
[film] Warfare (2025)
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