4.06.2025

[log] March 30 - April 6 (3)

そしてずっと繋がれて動けないまま時間の感覚が歪んでくるのか、痛みの感覚 - 麻痺のような何かが広がってくるのか、単なる鎮痛剤のおかげ ←たぶんこれ - なのか、状態が変わってきた気がしたのは2日目くらいからで、痛いけど食べるし痛いけど寝るし、が常態となり、そうしながら点滴の管の数が減っていき、あとは自分内でどうにかしなはれ、になる、その跳躍というのか切断というのか、はちょっと怖い。生まれた時がまさにそうだったわけだが。

ここから先の生活はひたすらだらだらするばかりであまりおもしろくなくなるのだが、ひとつだけ、執刀した先生にお願いして自分の手術の映像を見せてもらったの。自分の顔や体が映っているわけではないので本当にそれが自分のかはわからないのだが、じょきじょき切り刻んでいって患部に到達してより分けて摘んで切り取って結んで、の一連の小さい箇所に対するマイクロな作業を、ロボットの3本の手なのか指なのか、がさっさか捌いていくのを倍速で見せて貰って、テクノロジー! って思った。でもそれ知らずに映像だけみたら鶏や魚捌いてるの(のを100倍拡大したの)とそんな違わないかも。

手術後2日過ぎて、点滴による鎮痛剤投与がなくなったあたりから歩く練習をしましょう、って管の繋がったガラガラに掴まって病棟内のサーキット(ただの通路、一周30mくらい?)をゆっくりぐるぐる歩く - だけなのにすごくしんどい。こんなんではエレベーターのまだ動いていない時間帯のシネマヴェーラに並べない! になってしまうのでがんばる。病と戦うとか、リハビリで歯を食いしばってなどという態度は個人的に嫌なのでそういうんじゃないんだ、という顔をつくって歩くのだが誰もわかってくれない。

既に少し書いた朝昼晩のお食事は、一日のトータルが1800Kカロリーを超えないように、各食200gのご飯とメインおかず、副菜1〜2でコントロールされつつ、質も量ももう飽きた嫌だになりそうでならない絶妙な線を維持し続けて、部屋からほぼ出れないのでお腹減らないはずなのに少しは減ってやってくる半端な欠落感をどうにかー、をどうにかしてくれる。で、それでもなんかー、とかパン食べたい、とか言う場合は追加料金での特別メニューを事前予約できる。楽しみがないので晩一回、朝一回、洋食をやってみたのだが、ロールパンとか別皿サラダとか、なんとなく昭和のゴージャス感たっぷりのやつだった。お年寄りにはうけるかも。

5日の土曜日の午前に最後の管が抜かれて - あれらを引っこ抜く瞬間のにゅるん、とくる痛覚ってなんかCronenbergだよね、とか思いつつ、抜かれた後の虚脱感 - いや、抜かれた抜かれないに関係あるのかないのかどうでもよくなるくらいとにかくだるいのってなんなの? 今回、切り取って体外に出されたのなんてせいぜい数十グラムくらい、手術の日から退院するまでに約6〜7日じっと転がっていた、それだけなのになんでこんなに力が入らないの、って?

でもとにかくこの状態から動き始めるしかないわけね、とこれから退院する。 当分スポーツ・運動はだめ(やるかそんなもん)らしいがじっとしている映画館はべつによい(好きにすれば)らしいので、がんばる。

あととにかくケアしてくれたナースの皆さんには本当に感謝しかない。すばらしい人たち。ありがとうございました。

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