3月29日、土曜日の昼、シネマヴェーラの成瀬特集で見ました。
入院前日、まだ健康(でもないか)だった頃に見た最後の1本。フィルムの状態がよくない、という注意があったがそんなに気にはならなかった。始まってすぐ、見たことあったやつじゃん、になったがこれも気にすることはない。
オールスター・キャストによる正月映画、だそうで、こんな暗いのを正月に… と思ったが当時の「女の座」を基軸に見てみればこれでもじゅうぶん「よかった」ほうに入る「喜劇」なのかも知れない。
家長の父、金次郎 (笠智衆)危篤の報を受けて集まってくる家族たちが紹介される。金次郎の後妻あき(杉村春子)、戦死した長男の嫁芳子(高峰秀子)は高校生の息子健と一緒に同居して家にくっついた荒物雑貨店+家事全般を切り盛りし、長女の松代(三益愛子)は家を出て下宿屋をやっていてそのダメ夫が良吉(加東大介)で、次女で結婚していない梅子(草笛光子)は家の敷地内に別棟を建てて暮らしていて、次男の次郎(小林桂樹)は家を出て町の中華料理店をやっていて、三女の路子(淡路恵子)は正明(三橋達也)と結婚して九州にいたが今回の騒ぎで戻ってきて、そのまま居着こうとしていて、四女は夏子(司葉子)で、五女は雪子(星由里子)で… という大家族模様をわざとらしい形でなく紹介しつつ、そのまま満遍なく家族の出来事 - どんな昔のことも現在のことも家族の姿、ありように繋がっていく - のなかで展開させつつ見せていくやり方がすごすぎて目を離すことができない。
あの時期、おそらくどこにでもあった家長を中心としつつも核家族化の流れと共に解れるべくして解れつつあった大家族の、崩落でも没落でもない、誰も中心にいる家長の思う通りにはならないし、させないし、勝手に生きていこうとしていた家族の断面を『流れる』的な屈辱や自嘲のなかに描くのではなく、「仕方ない、けど私は」的な近代的自我の立ちあがりの中にばらばらと置いて、家族同士がその喧騒で騒がしくなっていくなか、これも同様にできあがりつつあった学歴社会の厳しさにひとり向き合って悩んでいた健は…
他にも独り身だった梅子のところに現れた(あきの先夫との間の子)六角谷甲(宝田明)が実はとんでもない詐欺師であることがわかったり、夏子は中華料理店の客で気象庁に勤める青山豊(夏木陽介)をちょっと好きになるものの結局は見合いをした相手とブラジルに駐妻として行くことにしたり、誰も彼も家族のことより自分のことばかり、の果てにぽつんと残されてしまったことに気づく金次郎とあきと芳子がいて、この辺が『東京物語』 (1953) と対比されるところなのだろう。
子供たちに置いていかれた老親と嫁として嫁いできただけの女性(他人)が心を通わせるこれらのお話しって、近代化と家父長制の軋轢、というか、これらをかわいそう、って思わせ泣かせてしまう甘さが、家父長制を精神的にも制度的にも支え、のさばらせてきたのだ、というところまで分からせてくれる視野の広がりがあるような。
あの荒物雑貨店ってセットなのかしら? ああいうお店ってあったよね。すばらしい臨場感。
4.07.2025
[film] 女の座 (1962)
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