4月9日、水曜日の午後、シネマヴェーラの成瀬特集で見ました。
前の日にリハビリ(言い訳)で『女の歴史』を見にいって生還して、まだ会社への通勤はしんどいかなー、と思いつつ、リハビリを一日でやめてしまうのはよくないな、と再びのこのこやってくる。階段はしんどいので可能な限りエレベーター/エスカレーターを使うのだが、日本のバリアフリー、まだまだよね。
『流れる』 (1956)の次の成瀬監督作品。原作は徳田秋声の同名新聞連載小説(1915)を水木洋子が脚色している。500%理解できないが公開時には成人映画指定されて18禁になったのだそう。そりゃヘイズ・コードには引っかかりそうだが。
大正時代の末期の東京、お島 (高峰秀子)は最初の結婚でごたごたして嫌だと実家に逃げて出戻った後に缶詰屋の鶴(上原謙)の後妻として入るのだが彼から日々着るものから態度振る舞いまで散々叱言と嫌味を言われ、その延長で堂々と浮気され、妊娠すれば早すぎないかと疑われ、いいかげん頭きて大喧嘩したら階段から落ちて流産して、そのまま離縁する。
続いて兄 (宮口精二)に連れられて山奥の旅館に下働きに出され、そこの暗くねっとりした主人の浜屋 (森雅之)から言い寄られて関係をもってしまうのだが彼には寝たきりの妻がいたのでお島は更に奥地の温泉宿に飛ばされて、島送りのような暮らしは父 (東野英治郎)が連れ戻しにくるまで続く。のだが浜屋との関係はその後もなんだかんだだらだらと。
続いて伯母 (沢村貞子)のところに預けられたお島は出入りしていた裁縫屋の小野田 (加東大介)のところで働き始め、仕事のできない怠け者で不細工な彼の尻を叩いているうちに仕事がおもしろくなり一緒になって洋装屋を興すことにして、何度か失敗を繰り返しながらどうにかなってきたところで、浜屋の病のことを聞いて駆けつけると彼は亡くなっているわ戻ってみると小野田は浮気しているわ、ブチ切れ、というよりすべてを吹っ切るべく洋装屋のできる若手の木村(仲代達矢)ともうひとりの若造に声をかけて飛び出していくのだった。
なす術もなく運命に翻弄されきりきりしていくこれまでの高峰秀子とは違い、言いなりになると思ったら大間違いだ、って毛を逆立てて突っかかっていく「あらくれ」で、あの後もぜったい仲代達矢となんかあって泣くことになるかもしれないのに勝ち負けじゃねえんだよ、って動じない。品行方正とか、そういうのを貫くというのでもなく、なーんで男はろくでもないのばっかしなのに、なーんで女ばっかりあれこれ言われり後ろ指さされたりなんだよ? って、その説得力は確かにある。水木洋子の脚色でどれくらい変わったのだろうか。
その反対側でハラスメント野郎(上原謙)に、いいかっこしいのむっつりすけべ(森雅之)に、働きたくない怠け者(加東大介)と、あとこいつの父親も酷いし、男の方もよく揃えたもんだ、こんなそもそものクズ連中に向かってあらくれても、と思ったりもするが、こんなのがそこらじゅうに吐いて捨てるほどいた(今もか…)のだとしたら… といううんざりの徒労感も見えたり。高峰秀子があと1000人いたら。
『流れる』からの流れでいうと、彼女がミシンを2階に引っ張りあげるところから何かが始まる、ような。ミシンは抵抗への狼煙になるのかー。
4.10.2025
[film] あらくれ (1957)
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