4月23日、水曜日の晩、Curzon Sohoで見ました。
上映後に監督のSandhya SuriとRiz Ahmedのトーク付き。
これまでドキュメンタリーを撮ってきたSandhya Suriが初めて脚本を書いて監督したイギリス・インド・フランス・ドイツ共同制作で、昨年のカンヌのある視点部門に出品されている。
インド北部の地方に暮らす28歳のSantosh (Shahana Goswami)は、警官だった夫が暴動制圧の現場で殉職してしばらく悲しみにやられて空っぽになっていたのだが、インドにはそうやって残された配偶者を警官として応募採用する制度 – “compassionate appointment” - があるらしく、これに応募してうるさい義理の親たちや世間の目から抜けだそうとしてみる。あとは、夫がどんな世界を生きて、そして死んだのかを知るためにも。
警官の立場で見てみたインドの社会はこれまでとは違う形で彼女を圧倒して、そんななか、最下層カースト - ダリットの少女がレイプされ殺されて井戸に捨てられていた事件に関わっていくうち、差別(性差別、カースト差別)や貧困の過酷な現実に加えて、(被害者の側から見て)何もしてくれない警察への不信不満と緊張が膨れあがって彼女を苦しめ始めた頃、先輩の女性警官Geeta (Sunita Rajwar)が現場に現れて力強く仕切ってくれてSantoshをこの事件の副官として参加するようにしてくれる。
Geetaはどっしりしていて経験豊富で、組織内の上層や男性警官への扱いやメディアに対する対応も手馴れていて揺るぎなくて、Santoshは彼女の庇護のもと、警察のやり方、やり口も含めていろいろな「現実」を学び、実行し、周囲に「適応」していくようになる。
Santoshの根には最愛の夫を奪ったインド社会に対する怒りや絶望があり、おそらく夫がそうであったように犯人を見つけだして正義を実行する - この世の中をよくしたい、という動機があったはずなのだが、日々の仕事のなかで警察として路上に出て与えられた役割の通りに動いていくうち、Geetaの背中を見て一緒に動いていくうちに、彼女の振る舞いは自分が思っていた方ではない、よりダーティな現実に合わせる、少し前の自分を失望させていた警察のやり方を倣う方に変わっていくようで、それらに対するSantoshの惑いや困惑も生々しく描かれる。(インド版、女性版の”Training Day” (2001)と呼ばれるのも少しわかる)
正義に殉じるヒロイックな姿を描くのではなく、夫を緩く絞めていったものかもしれない同じ力 – それは警察機構や権力、その底に流れる年を経て固化した偏見や蔑視の沼の圧も含めて – にのみこまれていく意識や感情の揺れがフィクションを通して、というよりドキュメンタリーの透明な距離でもって迫ってきて、それはインドのSantoshのものだけではないと思った。 そして、それを形にしてみせる女優Shahana Goswamiさんの演技の見事さと。
イスラムフォビア、カースト差別、女性差別、警察の残虐行為などの描写を懸念したインドの映画検閲当局は本作のインドでの公開を禁止して、トーンダウンするよう数箇所のカットを要請している – というのがこの映画の正しさとありようを示しているような。
上映後の監督とRiz Ahmedさんのトークは、”I for India” (2005)のようなすばらしいドキュメンタリーを撮ったあなたが、どうしてこのようなフィクションを撮るに至ったのか、という点から入り、完全に映画作家 or 批評家としての語りに徹していて、そっちのスマートさの方に惹かれてしまうのだった。
4.29.2025
[film] Santosh (2024)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。