4.06.2025

[film] BAUS 映画から船出した映画館 (2024)

3月23日、日曜日の昼、テアトル新宿で見ました。
これの次の回だと舞台挨拶もあったのだが、自分に残された時間はもうそんなにないのだった。

当初青山真治が脚本を用意して企画していたものが彼の急逝により弟子の甫木元が引き継いで完成させたもの。プロデューサーには仙頭武則に樋口泰人の名前もある。当然。

“BAUS”というだけでそれは2014年に閉館した吉祥寺のバウスシアターであることは最初からわかっていて、原作はバウスシアターの元館主・本田拓夫による経営者家族の年代記であるらしいのだが、そもそもこの映画の中心は「爆音映画祭」という特殊な映画の上映形態を編みだしてしまったその場所、あのシアターのなぜ? と核心に迫り、それを総括するはずのものであったのではないか。

本来なら「映画館から船出した映画」であってもおかしくないタイトルの転倒や、ちっとも船出なんかしないでひとつの土地にずっと停泊していることとか、ぜんぶ目眩しの照れ隠しで、あの時のバウスシアターがどうしてあんなふうでありえたのか、をストレートに掘って語ることをわざわざ回避している気もした。青山真治と樋口泰人によるドキュメンタリー『June12,1998 at the edge of chaos カオスの縁』(2000)のタイトルを引き摺る - 「カオスの縁」にあった場所なのに。

1927年、青森から流れてきたハジメ(峯田和伸)とサネオ(染谷将太)の兄弟が吉祥寺の映画館で巻き込まれるように働き始めて、サネオはハマ(夏帆)と結婚して家族ができて、でも戦争が近づいてきて.. という戦前〜戦後に跨る家族の物語を井の頭公園に佇む老人 - サネオの息子タクオ(鈴木慶一)が踏みしめていく。テンポが速くてサクサク進んで、音楽が大友良英だったりするので朝ドラっぽく見えてしまったりする(←見たことないくせに)のだが、それらは全て鈴木慶一の後ろ頭に収斂され、土地と興業、そして時の流れ、消えていった者たちの方へと意識は向かう。

この辺、『はるねこ』 (2006)の甫木元空の幻燈画のような人と景色の描き方が見事にはまっているのだが、他方で青山真治がやっていたら『サッド ヴァケイション』 (2007)の、あのなんとも言えないノラ家族の姿が見られたのかもなー、とか。

映画館の最初の季節には弁士が入っていたし、映画だけでなく落語などもやっていた。なにをやるか、よりもどう見せて、その向こう側の世界の作りだす渦にどれだけ囲い込むか、没入できるか、が試されていた、というあたりに爆音の話には繋げられそう。(だけど、その基点である吉祥寺という土地について、自分はよく知らない)。

映画の聴覚に訴えてくるところ全てをサウンドボード上で再構成し、コンサート用のPAでライブ音響として鳴らすことで娯楽パッケージとしての映画体験をライブのそれに変えてしまえ、という試み。そこには当然映画の歴史、興業の歴史、更にはそもそも映画って何? にまで踏みこんだ問いと答えが求められるし、それが可能となる/それを可能とする個々の映画作品の、更にその映画のジャンルやテーマにまで踏みこんだキュレーションのセンスが必要となる訳だが我々には樋口泰人(斉藤陽一郎)がいたのだ、と。(樋口泰人伝にしてもよかったのでは)

ここまで行って初めて”BAUS”がBAUSであった意義とか戦前からのならず者ストーリーが繋がってくると思うのだがそこまでは届かず、敢えてブランクにしているかのよう。映画館のインフラがどこでも平準化され、配給されなくても配信で入ってくるからいいや、がスタンダードになりつつある今こそ、映画・映像を爆音で体験することの意義を問うべき - とか言ってもなー。それはもう船出しているのだ、とか?

など.. というのもあるが、やはりこれは映画からどこかに船出していった青山真治の、家族や歴史や文化、人々への眼差し、洞察に対する敬意に溢れた作品としか言いようがない、と思った。

最後に流れた1曲がものすごく沁みて、誰これ? と思ったら(やはり)Jim O'Rourkeだった。

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