4.23.2025

[film] Vale Abraão (1993)

4月19日、土曜日の昼、ル・シネマ渋谷宮下で見ました。
離日前に見た最後の映画。 ここでのManoel de Oliveira特集、あと一週間早く始まってくれていたら…なのだが文句は言わない。見ることができてよかった。 203分のディレクターズカット版。

邦題は『アブラハム渓谷』、英語題は”Abraham's Valley”、プロデュースはPaulo Branco。原作はAgustina Bessa-Luísの同名小説 (1991)で、その底にはフローベールの”Madame Bovary” (1857)がある。Manoel de OliveiraはAgustina Bessa-Luísの小説を他にも多く映画化しているのね。

上映時間も含めて渓谷のように深い谷の底まで時間と共に掘ったり刻んだりの大河ドラマのようにでっかい作品かと思っていたらそんなでもない – だからつまんない、なんてことは勿論なく、"Bovarinha"と呼ばれたひとりの女性の生涯を描いて、これはこれで谷底を覗く冷んやりした感覚がやってくる。

20世紀中頃のポルトガル、ドウロ川沿いを列車が走っていく映像と共にナレーションの声(Mário Barroso)が「アブラハム渓谷」について語ったりするものの、どこからどこまでがその渓谷を指すのか、全容はよくわからなかったりして、以下、このナレーションの声が、誰がなにをしてこうなった、などについて無表情に語っていく。

父(Ruy de Carvalho)に連れられて食事をしていた14歳のEma (Cécile Sanz de Alba)が医師のCarlos (Luís Miguel Cintra)と出会う。幼い頃に母を亡くしたEmaは裕福な家庭で父の他に叔母と家政婦と耳の聞こえない洗濯女Ritinha (Isabel Ruth)と猫(すごくかわいい)と暮らしていた。

叔母の葬儀で20歳になったEma (Leonor Silveira)と再会したCarlosはその美しさに打たれて彼女と結婚することにするが、先妻と死別していてずっと多忙な彼がいつもEmaの傍にいてくれるわけではないし、彼の姉たちも揃っていじわるだし、Ritinhaは出ていってしまうし、娘がふたり産まれるものの、なんかつまんねーな、になっていく。

こうして社交がEmaのほぼ唯一の娯楽になり、Luminares家の舞踏会で旅行家のOsório (Diogo Dória)と出会って、そのあたりから彼に誘われるままに彼の屋敷や庭園に出入りし、着飾っていろんな男と出会う端から逢瀬を重ねていくようになり、それらはCarlosの耳にも入ってくるし、それらが夫の耳に入っていることもEmaは知っているけど、彼女の日々の関心や足取りが変わったり揺らいだりすることはない。あの家の誰それがいなくなった、どこそこにいるらしい、でもEmaは渓谷の外に踏みだすことはできず、足を半端にぶらぶらさせることしかー。

家を出て遊んでばかりのEmaの浪費で投機に手を出して負債を負って老いて落ちぶれたCarlosをかつての執事から成りあがったCaires (José Pinto)が救い、彼がEmaに昔からお慕いしておりました、と求婚してきたのでそこまで堕ちちゃいねえわ、って家を出ることにするのだが..

ドウロ川を真ん中に置いた『流れる』(成瀬)のようなイメージもあるが、映画はそこをどんより流れていくEmaの状態を作りだした川と谷のランドスケープ – 「渓谷」をタイトルにして、『ボヴァリー夫人』のEmaに落としこもうとする世間に抗おうとしていて、それが当時の~現代の、少し前の大奥様まで含めた女性のありようにまで広がっていくところ、そして人生は美しい、とまで言ってしまう(誰が?誰に?) とこはすごいと思った。彼女は腐った板を踏みぬいて落ちたのではなく、よりでっかい渓谷の冒険に自ら乗りだしていったのではないか。

それにしても、ふたりのEma - Cécile Sanz de AlbaとLeonor Silveiraのすばらしい目の強さ、衣装の、特に色彩の美しさ、それを捉えた瞬間の背景の鮮やかさときたら。4時間でも5時間でも、あと2〜3回は軽く見れると思った。

なのにこの後は最後のお買物とパッキングがー。

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