4月8日、火曜日の午後、シネマヴェーラの成瀬特集で見ました。
退院後、最初の1本で、これをなにがなんでも見たいから、というよりは地下鉄に乗って渋谷の町に出て2時間強の映画を見て帰ってくる、という活動がどれくらい体力的にしんどい負荷をもたらすのかを試す目的。これが無理なら会社に行くのはもっと無理だろうし、ね。
入院前の最後に見たのが『女の座』 (1961)だったので、次は『女の歴史』 (1963)かー、くらいだったのだが、こちらの原作(着想)はモーパッサンの『女の一生』 (1883)だという - けどモーパッサンのとは随分ちがう(脚本は笠原良三)。 公開時の同時上映は岡本喜八の『江分利満氏の優雅な生活』だったと(あれこれなかなかの段差)。
東京の下町で小さな美容室を切り盛りする信子(高峰秀子)がいて、姑の君子(賀原夏子)と自動車会社に勤める息子の功平 (山﨑努)と暮らしているのだが、功平はあまり家に帰ってこない。ものすごく幸せでもなく、 ものすごく辛くて不幸でもないこの現在地点から、いろんな過去が信子の語りと共に切り取られて行ったり来たりしつつ、現在もまた流れていく… という構成。
時間の流れには抗えない戻れないという『流れる』や『女の座』にあった語り口(なるようになる、しかない)ではなく、こんなこともあんなこともあったという「歴史」を振り返ることで「現在」を変えるなにかは見えてくるのか、というこれまでとは少し異なる視点。 あるいは「座」という空間的な切り口から「歴史」という時間的な切り口に変えてみたところで、女性の生き辛さの総量はそんなに変わらないよね、と言うことか。
木場の材木屋の跡取りだった幸一 (宝田明)からお見合いで見そめられて割と強引にもっていかれる婚礼から新婚旅行の初夜、相場で失敗して愛人と無理心中をした幸一の父のこと、幸一に召集令状が来て彼を戦地に送って空襲にあって疎開して、そこで幸一の戦死の報が届き、生活苦を玉枝(淡路恵子)に助けてもらったり、夫の親友だった秋本隆 (仲代達矢)に言い寄られたり、周囲が目まぐるしく変わっていく反対側で生活は直線で苦しくなっていく中、姑と幼い息子と3人で懸命に生きていく姿が描かれる。
現在の時間軸ではキャバレーで働いていたみどり(星由里子)と出会って親密な仲になった功平が彼女との結婚を信子に伝えたら反対されたので家を出て、郊外の団地でみどりと暮らし始めた - と思ったら自動車事故で突然亡くなってしまい、信子はどん底に。ひとりで信子のところを訪ねてきたみどりは功平の子を妊娠している、と言うのだが…
『女の座』との対比でいうと、しっかりした家に嫁いだ高峰秀子が戦争で夫を失い、拠り所のように大切に育てていた一人息子も失って家のなかで一人孤立してしまう、というところは同じ。婚前婚後の違いはあるが宝田明から言い寄られるのも同じ。最後にアカの他人と3人で残されてしまう、というところも同じ。あとはなんと言っても、自分はそんな悪いことしたわけでもないのになんでこんな目に? という不幸絵巻も。これらってぜんぶ彼女が女性だから起こったことだよね。 でもあのラストは素敵。
なぜ成瀬の映画で高峰秀子ばかり(他の女性も割とそうか)がこんな酷い仕打ちに遭ってしまうのか、についてはもう少し他の作品も見た上で書ければー。
あと、何度も映し出される美容室のある路地の佇まいが素敵なのと、終戦後の闇市の混沌を切り取った美術がどこを切り取ってもすごい。本棚の奥からリュミエール叢書『成瀬巳喜男の世界へ』 (2005)が出てきたので美術監督の中古智のインタビューを読んでみよう。
4.09.2025
[film] 女の歴史 (1963)
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