3月2日、日曜日の昼、Curzon Sohoで見ました。英語題は”I'm Still Here”。
この日の晩に発表されるオスカーで、外国語映画賞はこれだろうなー、と思ったので見ておいたら、ほうら当たった。
監督はWalter Salles、オリジナルスコアはWarren Ellis - これも見事なのだが、挿入されている当時のブラジルの音楽がすばらしすぎ。
1970年軍事政権下のリオで、元国会議員で技師のRubnens Paiva (Selton Mello)と妻のEunice (Fernanda Torres)と沢山の子供たちは本とか音楽とか友人たちに囲まれて、近くにはビーチもあるし楽しく幸せに暮らしていて、でも上空を軍用ヘリが飛んでいったり装甲車が走っていったり、やや不穏で、でも自分の家、家族には関係ないと思われた。
そんなある午後に、銃を持った男たちがやってきて、Rubensに支度をさせて車で連れ出し、Euniceと娘のEliana (Luiza Kosovski)も別の車に乗せられ、途中でフードを被せられ、Elianaはすぐに釈放されたようだが、Euniceは12日間監禁され尋問 - 写真を見せられてこの中にコミュニストはいるか? - されて、そんなことより夫は? 娘は? どこにいてどうなっているのか、誰に何度聞いても答えは返ってこない。
Rubensがいなくなってから先、視点はEunice中心に固まっていくが、釈放されて家に戻っても政府が差し向けたガラの悪そうな男たちが家に常駐して子供たちも含めて24時間監視している、というホラーで、どういうホラーかと言うと、すべてが突然で、何が起こっているのかこの先どうなるのか、いつまで続くのか、どんなことをされるのか全くわからないことにある。
Rubensと同時期に尋問を受けていた人から少しだけ彼の様子を聞きだしたりすることはできたものの、過ぎていく時間と共にEuniceは彼がこのまま帰ってこないこと、おそらく拷問の末亡くなってしまったことを受けいれざるを得なくなっていく。映画は彼女の悲嘆や絶望をダイレクトに映しだすのではなく、世紀を跨ぐ長い時間のなかで彼女がその事実 - もう彼はいない、会えない - をどうやって一人で受けとめ、その後を生きたか。リオにいてもしかたないので、サンパウロに引っ越すことにした際の、がらんとなったみんなで過ごした家にお別れを告げるところが痛切にくる。原作は、Euniceの息子で作家になったMarcelo Rubens Paivaの回想録に基づいていて、そこには監督のWalter Sallesも子供の頃に出入りしていたという。そういう点では”I’m Still Here”と言いつつ、みんなそこにいたのだよ、というそれぞれのパーソナルな場所と時間を刻んだものにもなっているような。
サンパウロに移ったEuniceは大学に入り直して人権弁護士として活躍して、2018年に亡くなる前、最後の15年間はアルツハイマーだったと。なんと過酷な人生だったことだろう …
あと、ブラジル音楽に親しんだことがある人にとっては必見でもある。Caetano VelosoやGilberto GilのTropicáliaがどういう文脈で起こったのか、なぜ彼らはイギリスに亡命しなければならなかったのか、この映画を見ると当時の空気感がわかったりする。(Euniceの家に押し入った政府関係者が家にあった1971年の”Caetano Veloso”のLPジャケットをみて、「ふん」って言うとか)。 CaetanoでもTom ZéでもRoberto Carlosでも、音楽がどんなふうにあの土地に馴染んでいたのか、についても。(これは現地に行くとほんとにびっくりする。あんな土地はない)
これは全く別の国の、別の時代のお話しとも思えない –という視点と構成もきちんとある。共産主義に対する子供みたいな嫌悪とかウィシュマさんへの拷問だって、どっかの国でつい最近起こって、だれがやったかわかっているのに、だれひとり責任取ろうとしないのは大昔から。
3.07.2025
[film] Ainda Estou Aqui (2024)
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